嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「硝子のハンマー」貴志祐介

今まで読んできた本を読み直そう企画第三弾。
簡単に感想を書いておく。

今回の「硝子のハンマー」は「鍵のかかった部屋」や「狐火の家」とは違い、長編である。
読み応えは抜群。すらすらと頭の中に文章が入ってきた。
また、トリックも「そんなんありかよ!」と思うものだが、その意外性というか予測できなさがおもしろい。
これだからミステリーはやめられないのだ。
また、榎本のキャラクターがしっかりしており、榎本というキャラクターに好感が持てた。
好感を持てるキャラクターが描けることはすごいことだと思う。
わたしも頑張らねば。そう思わされた一冊だった。

さて、次は「新世界より」を読もうと思っている。
上中下とあるので読むのに時間もかかるし気力も必要だが、おもしろいので多分問題ないだろう。
英語の勉強をしながら、ぼちぼち読んでいきたいと思っている。

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人と感性が違うと言われた

わたしは、周囲から「変人」だと言われながら今まで育ってきた。
「変人」だと言われる度に、「いやそれはお前がアイデンティティーを確立できてないからそう思うだけやろ」とわたしは思っていた。
しかし、今日の晩のことである。
タバコを吸いながら父親と話をしていた時に、「お前は普通の人間とは感性が違うからな」と言われたのである。

わたしの感性は普通の人間とズレているのだろうか。
しかし、感性なんて人それぞれだ。
十人十色。人の数だけ感性が存在する。
でも、父はきっと「世間一般的な」感性とはズレている、といった意味でわたしに「お前は感性が普通とは違う」と言ったのだろう。

思えば、ずっと昔から変わった人間だと言われてきた。
誰かと話すことよりも本を読む方が好きだったし、言葉選びが独特で笑いを誘ったり、高校の時に大学に提出する調査書に「ユーモアのセンスがある」と書かれていたり、それはもう変人扱いされて育ったのだ。
そう考えると、わたしは「変人」なのかもしれない。
自分ではどこが変なのかまったくわからないが。
唯一わかることは、言葉選びが独特なところだけだ。

浮世離れしている、飄々としている、変人。
今まで何度も言われてきた言葉。
自分では何がおかしいのかまったくわからないが、褒め言葉として受け取っていこう。
変わり者で何が悪い。エキセントリックで何が悪い。
わたしはわたしの行きたい道を行くだけだ。
わたしはわたしの言いたいことを言うだけだ。
それによってどれだけ変人扱いされてもわたしはもう気にしないことにした。
奇人変人、上等じゃないか。

無個性であるよりは、変人でいる方がよほどいい。
たしかにわたしの存在は大衆に受け入れられるような無難な存在ではないが、それでもいい。
無個性よりは個性が強い方がいいじゃないか。
しかし、わたしの感性のどこが変なのだろう。
明日父親に聞いてみようと思う。

今日は英語の勉強を3時間やった。
飽き性のわたしにしては続いているし、ネットで知り合ったイギリス在住の男の子に宿題を作ってもらったり、わからないことを聞いたりして勉強に励んでいる。
久々に勉強するとなかなか楽しいものだ。
特に採点するときのあのドキドキ感が堪らない。
明日も10時には起きて、英語の勉強を始めよう。アラームのセットは万全だ。
いつかは英語を話せるようになりたい。そのためには、多くの単語を覚えなければならない。
明日も頑張って勉強しよう。
英語の問題集を解き終えたら、読書をしよう。
時間は有限だ。上手く使っていきたいと思っている。

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「狐火の家」貴志祐介

読み終えた。感想を書いておこうと思う。

こちらの本も、大学時代に読んだ本をもう一度読み直そう大作戦で読み直した本だ。
内容は四編からなる短編集。どの話も、最後にきちっとオチがつけられてるところが素晴らしい。
何より文章の読みやすさが半端ではない。長い台詞でもサラサラと流れるように頭の中に入ってくる。
榎本というキャラクターもよく、楽しんで読める本だった。

大学時代に最も読んでいた本の作家業が貴志祐介だった。
榎本シリーズではまだ「硝子のハンマー」が残っている。
その上、「新世界より」も読める。
わたしは今まで「新世界より」ほどおもしろい小説は読んだことがない。それくらいにこの本はおもしろいのだ。
それこそ、もう一度読んだら感動と、そして自分の文章の拙さの自覚で涙してしまうかもしれない。
しかし、貴志祐介の本は面白いので、短編集くらいなら二、三時間あればすぐに読み終えられてしまう。
貴志祐介の本はそれくらいおもしろいのだ。
新刊が出ないことが本当に悲しい。

次は「硝子のハンマー」を読む。
こちらは確か長編だったような気がするので、心して読もうと思う。

どうでもいいが、最近英語の勉強を始めた。
高校教師をやっている父親にあまりの問題集をもらい、参考書を読みながら高校レベル(高校レベルといっても、父親の勤め先の高校の偏差値は高いので、すこしハイレベルなのだが)の問題集を解いている。
大学時代にドイツ語とロシア語を専攻していたので、英語に触れるのは実に6年ぶりくらいになる。
しかし人間の記憶力は案外持つもので、簡単な英語であれば今でもサラサラと読めるからすごい。
いずれは英会話ができるようになりたいので、作家修行と共に頑張ろうと思う。
とりあえず、今からタバコを吸って、一息ついたら英語の勉強をしようと思う。

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「鍵のかかった部屋」貴志祐介

昔読んだ本をもう一度読み直そう作戦第一弾は、貴志祐介の「鍵のかかった部屋」である。
大学時代に一度読んでいたが、改めて読み直してみた。
ここにささやかな感想をしたためておこうと思う。

鍵のかかった部屋」は4編からなる短編集である。
おもしろい短編を書くというのは非常に難しい作業で、わたしもこれまで上手い短編を書けたことは一度もない。
しかし、貴志祐介の短編は短いながらしっかりまとめられていて、短編とはこう書くのか!と教えてくれた。
内容も非常に面白く、あっという間に読み終えてしまった。
わたしの尊敬する作家は綾辻行人貴志祐介なのだ。貴志祐介の才能溢れる文には本当に憧れる。
新刊がでないことが寂しくあるが。

さて、次読む本も貴志祐介だ。
ミステリーは読んでて楽しい。飽きがこない。
やはりわたしが読みたいのはミステリーなのだと再認識されられた。
医者からはおそらく11月復帰も難しいという見立てをいただいた。
ならば、来月も読書に時間を費やそうと思う。
とりあえず、貴志祐介を読んで、他のミステリーも読んで、いいところや憧れるところをどんどん吸収していきたいと思っている。

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「ヒトクイマジカル」西尾維新

読み終えた。

今回の話もまた急展開で、正直理解が追いつかなくなった。
言っちゃ悪いが、やはり一番最初の「クビキリサイクル」が一番おもしろかったなあと思う。
ただひたすら長い戯言。
途中で飽きて、流し読みしてしまった。

さて、明日は祖父母の家に本を取りに行く。
ラノベではなく、本格ミステリー本を取りに行く。
昔読んだ小説を改めて読み直そうの巻なのである。
それでは、祖父母の家に返す夏服の整理でも始めよう。

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「化物語(下)」西尾維新

読破した。

上巻と同じく、こちらもサラサラと読める物語だった。
5つの怪異の話。純粋に面白いと言えた。
しかし脳みそがどうしてもミステリー脳なので、人が死なない物語は味気なく感じる。
このわたしの感性はいかがなものかと自分でも思うが、まあ仕方がないだろう。
わたしは将来ミステリー作家になりたいのだから。
ちなみに、尊敬しているミステリー作家は綾辻行人である。

物語シリーズは今後も読んでいくつもりだ。
父親が本を借りてきてくれたら、続きを読んでいく。
しかし、いつ借りてくるのかわからないので、その間は戯言シリーズでも読んでいようかと思う。
まだまだ読む本はたくさんある。
西尾維新ばかりでなく、ミステリーも読みたい。
昔読んだミステリー本も、今読み返せば全く違う感想を抱くかもしれない。
とりあえず、わたしは今猛烈にミステリーが読みたいのである。
あとは、貴志祐介の「新世界より」。この本は文句なしにおもしろい。

さあ、たくさん本を読もう。
来月から復職できるかもしれないので(八割がた無理だが)、休んでる間にたくさんの本を読もう。
今度こそ「ヒトクイマジカル」を読もうかなあと今は思っているが、どうなるかはわからない。
今週金曜に一度祖父母の家へ帰るつもりなので、そこで昔読んだミステリーを実家へ持って帰ってくる所存である。

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自殺は悪なのか?

ふと疑問に思ったので書いてみることにする。
お題は、タイトル通り、「自殺は悪なのか?」である。

一般的に、自殺は悪いことだと認識されている。
親からもらった命を自ら捨てるなんて、親不孝にも程があると言われるまでに。
しかし、子は親を選べない。
その上、成長していく過程で命を投げ出したくなる気持ちになることだってあると思う。
たとえば、わたしが酷いいじめにあっていたとする。すると、わたしはきっと「こんな思いをするくらいなら死んだ方がマシ」だと思うに違いないのである。
そのつらいいじめを我慢してでも生きなければならない理由はなんだろうか。 生きていてほしいというのは、親のエゴでしかないのではないかと思うのである。

わたしは統合失調症である。
かかりたくてかかった病気ではもちろんない。
毎日希死念慮でいっぱいで、夢がなければとっくに死んでいたこの命。
他人がみんな殺人鬼に見えて、駅を歩くにも一苦労。
何度死にたいと思ったか、数えるのもばかばかしいくらいに「死にたい」と思ってきた。
もう死んでしまえば楽になれるんじゃないかと、今でも思うくらいだ。
親や会社の人に迷惑をかけ、なんの役にも立たないわたしなんか死んだ方が周りのためなんじゃないかと思うくらいだ。 それくらい、わたしは死にたいと思ってきた。

以前、父親に「死にたい」と漏らしたことがある。
すると、父親は「お前が死んだら後を追う」と言ったのである。
わたしはわたしが死んでも父親に生きていてほしいと思うし、後追い自殺なんかしてほしくない。
しかし、父親にそう思わせるほど、自殺というのは重い行為なんだと思った。

それでもわたしは、自殺が悪であるとは思わない。
子は生まれてくる親を選べない。生まれてくる時期を選べない。
それなら、死ぬタイミングくらい自分で選ばせてくれてもいいのではないだろうか。
「つらい」「苦しい」そう思うくらいなら、死んでしまった方が楽なのではないのだろうか。

こんな記事を書いてはいるが、今のわたしに死のうという意思はない。
少なくとも、後六年半は生きていると思う。
万が一死ぬとしたら、このブログにしっかり遺書をしたためて逝こうと思っている。

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