嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「新世界より(下)」貴志祐介

読み終えた。

結末はとうの昔に知っていたが、読み進めていくうちに心に湧く高揚感はなんともいえないものがある。
これだけ人を惹きつけることができる文章が書けるだなんて。
素晴らしい、すごい、尊敬する。
これで数回この本を読んだわけだが、何度読んでもおもしろい。
ゾクゾクする展開は何度読んでも楽しませてくれる。
おそらくこの本は、わたしが今まで出会って来た中で一番素晴らしいと思える本になるだろう。
今後読書をしていて、また素晴らしい一冊に出会えるかもしれないが、現状ではこの本が一番だ。

さて、「新世界より」を読み終えたので、次なる本を読もうと思っている。
図書館から借りた西尾維新の本が山積みになっているので、その消化をしようと思っている。

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生きるのに疲れてきた

タイトルの通りである。
生きるのに疲れてきたのである。

今、わたしは療養生活をしに実家へ戻っている。
しかし、母にまったく病気について理解を得られていないので、毎日苦しいのである。
元より母は無神経な人だ。無神経というよりはわがままだと言った方が正しいかもしれないが。
その母が、「おもちちゃんが全部家事やって」などと無茶振りをしたりするのである。
わたしは統失である。身体が動かない日は本当に動かない。しかし、それすら母には関係ないようで、わたしが自分の思い通りに動かないとキレるのである。

昨日、母と喧嘩をした。
もう母のことは親だと思えない。母もきっとわたしのことを子供だとは思ってないだろう。
父親相手にそうぼやいていたのを、うっかり聞かれてしまったのである。
「どうしてそんなひどいことを言うの?」と母はわたしに言った。
しかし、わたしとて理由もなくそんなことを言うわけではない。
療養のために実家に戻ってから、母は親らしいことを何一つわたしにしてくれなかった。
一日中家にいる日でも昼ごはんを作ってくれるわけでもなく、食材も何もないので結局わたしは何も食べられない。そんな日が続いた。
わたしが苦しい時にいつもそはにいてくれたのは父だけだった。
父だけが心の拠り所だった。
そんな父と母は不仲で、互いに会話をする時は何か頼み事があったりする時だけだった。
母は、父がわたしを甘やかし過ぎている、もっと躾けなければいけない、と言う。
その言葉自体は正論である。わたしもいっぱしの社会人だし、料理も洗濯も風呂掃除もしなければならないのはわかっている。
できる時はできる。でも、どうしてもできない時がある。
母はその辺りを理解してくれない。
昨日の喧嘩は結局父がその場を収めてくれたが、今日母はわたしの晩御飯だけを買ってきてくれなかった。
もうダメだな。そう思った。
やっぱり母を家族として見るのは無理だと悟った。
こんなやり方でわたしをいじめる母のことを、信用できなくなった。
母もわたしを子供だと思ってないに違いないと確信した。
これ以上この家にいることは無理だと悟った。

来週、医者に12月から復帰したいと喚いてくるつもりだ。
働けないうちは、この家にいなければならない。
だが、働き始めるなら、元いた祖父母の家へ帰れる。
母のいない家に帰れる。

実の親である母を母として見れなくなり、料理も用意してもらえず、療養しているはずなのにストレスは溜まるばかりだ。
このままでは四度目の自殺企図をするかもしれないし、またも瀉血で死にかけるかもしれないし、今度こそ死ぬのかもしれない。
親を信用できないことがここまでストレスになるとは思わなかった。
早く死んで楽になりたいな、と思ってしまった。
この環境の中で生きることに疲れてきた。
きっと環境が変わればまた生きる希望、夢が戻ってきてくれるはずだ。
だから、来月からは働きたい。おそらく医者は渋い顔をするだろうが。

なんにせよ、疲れてしまっているのは事実だ。
こんな扱いを受けながら生きるのは苦痛だ。
父も仕事が忙しいので、四六時中わたしと一緒にいられるわけではない。
わたしは、一人で立たねばならない。一人でも生きていける人間にならねばならない。
母を見捨て、そして見捨てられた今、わたしは父親に頼る他ないし、できれば父親に迷惑をかけたくもないので自立しなければいけない。
しかし、自立するより自殺した方が早いなと思うことも事実である。

幻聴がやまない。
全部お前が悪いんだ。そんな声が無限に聞こえてくる。
たしかに、わたしが全部悪いんだと思う。
わたしは生きていていいのだろうか。
生きるのに値する人間なのだろうか。
そう考えていると、人生に疲れてしまったのである。

盛大な愚痴記事になってしまったが、これが今のわたしの心境である。
やりたいこともある。行きたい場所もある。
なによりわたしには夢がある。
それでも、少し疲れてしまった。
わたしはどうすればいいのだろう。
わたしはどこへ行けばいいのだろう。
わたしは誰に助けを求めればいいのだろう。
全部わたしが悪いことは自覚している。それでも、助けてほしい。
その助けが死ぬこと以外にないのなら、いずれわたしは死ぬのだろう。
けれど、まだ死にたくない。生きていたい。
自分に生きる価値があると、そう自己暗示しながら生きていくしかないのだろうか。
なんにせよ、明日は瀉血コース待ったなしである。

穏やかに暮らしたい。
好きで病気になったわけじゃない。
動けない時は本当に動けないことを理解してほしい。
でも、他人のことを理解することは難しいことなので、それを相手に求めるのは酷なことなのだとは思う。
それでも、母がまだわたしの母でいようとしてくれるならば、理解してほしい。
そう思ってやまない一日だった。

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「新世界より(中)」貴志祐介

ようやく中巻を読み終えた。

新世界より」は大学時代から何回も読んでいる本であり、結末は知り尽くしている。
しかし、何度読んでも胸を打つものがある。
ネタバレになってしまうが、瞬が業魔になってしまい、主人公の女の子に「ずっと好きだった」と言うシーンは涙を流してしまった。
業魔になってしまったばかりに処分されねばならない無情さが、悲しく思えて仕方なかった。
本当に、本当に、涙が止まらなかった。
その後の展開も面白く、そして切なく、早く下巻が読みたいと思わせられる本だ。
この後から、下巻を読んでいこうと思っている。

貴志祐介の本はどれも面白くて、何度読んでも飽き足らない。
これからもたくさん本を出してくれることを祈るばかりである。

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障害年金がもらえたらフリーターになろうと思う

タイトルの通りである。
障害年金がもらえるようになったら、もちろんその金額にもよるが、仕事をやめてフリーターになろうと思っているのである。

わたしは統合失調症だ。
医者に通い出してから一年と一ヶ月ほどになる。
寛解の兆しは見えず、外に出る際にはデパスワイパックスをがぶ飲みしないと不安で心臓が潰れそうになる。
街行く他人がみんな殺人鬼に思えて、それがどうしようもなく怖い。

このままの状態で働けるのかと思うと、気分が沈む。
上司も先輩もみんな他人だ。殺人鬼なのだ。
そんな中でデパスワイパックスを飲まずにやっていけるのだろうか。答えは否である。
しかし、これ以上休むことができないことも事実で、12月から会社に復帰しようと思っているが、病気についてあれこれ詮索されたりするのが嫌なのだ。
しかし、絶対にそういう話になるだろう。
そうなると、またストレスが溜まって具合が悪くなるの悪循環に陥るわけである。
これはもうどうしようもないことなのだ。

再来年の春に、両親が離婚する。
離婚したら、わたしは父と共に住もうと思っている。
そうすれば安心してフリーターになれるし、作家修行もできるようになる。
父との生活はストレスフリーで、わたしのメンタルもそう崩れずに済むだろう。 だから、障害年金をもらえれば仕事をやめて、父親の脛を齧る生活を送ろうかなと思っているわけである。

再来年、本当は東京に行く予定だった。
しかし、今は東京に行くよりも作家になりたいという気持ちが強く、とりあえずは愛知で父さんと共に住みながら、文章の添削をしてもらい、作家修行に励む生活を送りたいと思っている。
なんにせよ、四月にならないと障害年金の申請ができない。
障害年金が降りるまでは気合で働くが、障害年金の額によっては即行で会社を辞める気でいる。

世の中正社員じゃないと苦しいよ、と人はいう。
しかし、わたしは統失で、夢追い人なのだ。
正社員で働く道だけが人生ではない。
たとえ三十路を迎えても作家になれなかったとしても、わたしは正社員をやめたことに後悔はしないだろう。
わたしはいずれ、作家になる。
そんな未来だけを信じて、明日も文章修行と読者に励みたいと思っている。

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「ミステリークロック」貴志祐介

読破した。

今回の「ミステリークロック」は、わたしの敬愛している貴志祐介がやっとこさ出してくれた新刊である。
それはもう本当に嬉しくて嬉しくて、思わず涙してしまったほどであった。
内容は、榎本シリーズで、四篇の短編集から成る物語である。
どの物語も読み応えは抜群。
自信を持っておもしろいと言える本だった。

さて、次は何を読もうか。
英語の勉強もしながら読書したり書く作業をしたりで、なかなか読書の時間を取るのが難しいのである。
けれど、読みたい本は無限にある。
今後はとりあえず「新世界より」の続きを読もうと思っている。

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薬物依存

母がワイパックス依存になってしまった。
どれもこれも、後先考えずに薬を渡してしまったわたしのせいである。

それは一ヶ月ほど前の話である。
「最近よく眠れない、睡眠薬の余りはないか」と母に聞かれたのである。
睡眠薬がないとわたしは眠れないので、睡眠薬の余りはないとわたしは答えた。
しかし、そこでデパスワイパックスには眠気を誘う効果があったなとふと思いついてしまったのである。
デパスワイパックスなら余りあるよ、と言った結果、じゃあその薬をくれと言われて、その時のわたしは母が後に薬物依存になることなどないだろうと思い、睡眠薬として使ってくれることを期待してデパスワイパックスを渡したわけである。

この時のわたしの考えは間違いだった。
そもそも、デパスワイパックスも強い薬である。用途も、抗不安作用である。
今まで精神科でもらうような薬を飲んだことのない人間にあげるべきものではなかったのである。
デパスワイパックスも強い薬だ。
抗不安薬としてはかなり強力な薬だ。
そんな薬を、それまで精神科でもらうような薬を飲んだことのない母に渡してしまった。

最初のうちはよかった。
デパス、もしくはワイパックスを寝る前に一錠飲み、寝るだけの生活を続けていたようだ。
しかし、そのうち、日中も飲むようになった。
そして、デパスワイパックスがなければ日常生活に支障を来すと本人が言うまでになってしまったのである。

ワイパックスを飲んだ母の様子は明らかにおかしかった。
物事の正常な判断ができず、足取りも覚束ない。
明らかに薬に体が順応できていない。
だからわたしは、これ以上薬は渡せない、薬が欲しけりゃ精神科へ行け、と言ってみたのである。
しかし母は、自分が精神科に行くことを頑なに拒む。
わたしは、母にはデパスワイパックスは強すぎると思うのだ。
抗不安薬がほしいのなら、まずはリーゼから始めるべきだし、眠れないのならマイスリーでももらってこればいい。
それなのに、何度わたしが言っても母は精神科に行かないのである。

今日の母の様子もおかしかった。
聞くと、ワイパックスを飲んでいるとのことだった。
だからわたしは、もう薬はあげられないから、と母に言った。
母は何も言わなかった。しかし、机に置いていたデパスワイパックスを全てかっぱらっていってしまった。

わたしは、母がそうなってしまったことに責任を感じずにはいられない。
あの時、睡眠薬がわりにデパスワイパックスを渡さなければ、こんなことにはならなかった。
全てわたしのミスだ。健常者に強力な薬を与えてはいけなかったのだ。

母はこれからもストックがある限り薬を飲み続けるだろう。
もしストックがなくなったら?
母はどうするのだろうか。
もしかして、わたしの薬を盗むのではないか。
そんな不安が押し寄せる。
そこでわたしもまたデパスワイパックスを飲むわけである。
他の精神薬とODで薬に慣れきったわたしはデパスワイパックス両方飲んでも不安が落ち着くだけで終わるのだが、母はそうではない。
わたしはとんでもないことをしてしまったのではないかと思うのだ。
わたしは、やってはいけないことをしてしまったと思うのだ。

薬物依存は恐ろしい。
わたしも、外に出るときはデパスワイパックスをがぶ飲みしていくので人のことを言えた義理ではないのだが、あくまで健常者である母がデパスワイパックスを常用しているのは危険なことだと思うのだ。
現に母はすでにワイパックス依存に陥っている。

全部わたしの責任だ。
わたしはとんでもないことをしてしまったのだ。
もう薬はあげられないから、薬が欲しけりゃ自分で医者に行けとは言ってみたものの、母がそれに従うとは到底思えない。
薬が盗まれるかもしれないという新たな不安。
また寛解への道が一歩遠のいた気がする。

今週は金曜が祝日で医者に行かなかったのだが、来週医者に行ったら、母についても相談してみようと思っている。
軽率に母に薬を渡してしまったこと。
そして、母がワイパックス依存になってしまったこと。
洗いざらい、医者に話すつもりである。

これからは、精神薬素人に薬をあげるのは絶対によそうと思った一件だった。
やっぱり、自分で精神科に行き、自分に合った薬を飲むべきだと思わされた一件だった。
もう二度と同じ過ちをしないように、ここにしたためておく。
そしてわたしも、薬物依存になっているので、それらを少しずつ改善していかねばならないと思わされた。

とりあえずは、今後の母の様子をよく見ておこうと思っている。
今後万が一わたしの薬を母が飲んでるところを見つけたら、父さんから一言母に言ってもらおうと思っている。

すべてはわたしが軽率だった、という結論に帰結する。
今後は薬の扱いには気をつけていきたいと思っている。

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病み垢をやめたら元気になった

タイトルの通りである。
病み垢をやめたら元気になったのである。

やっぱり、「死にたい」は伝染する言葉だと思う。
誰かがそう言っているのを見るとこっちも気分が塞いでくるし、うじうじしたツイートを見るとこっちもうじうじしてしまうのである。
それに、わたしには叶えたい夢がある。その夢のために努力する時間を病み垢などという非生産的極まりないものに費やすのは馬鹿らしいと思ったのである。
「死にたい」とツイートすれば死ねるのか? 否、死ねないのである。
結局病み垢界隈にいる人間はよしよししてほしいだけの構ってちゃんだらけということがよくわかったので、もうこれからはそう言った非生産的行為に時間を使うのはやめようと思ったのである。

病み垢をやっていていいことなんかほとんどなかった。
ブロックされた後に悪口を書かれていたり、変な人に突っかかられるしで大変だった。
わたしは思ったことを自由にツイートしてるだけなのに、誰かを不快にさせ、またこちらも不快にさせられる。そんな不愉快な気分をしてまで病み垢を作っている必要はないのだ。
もちろん、病み垢をやっていていいこともあった。気の合う人とお話しできたり、統合失調症の人の生の体験談が聞けるのは大きかった。
しかし、それでも、もう病み垢などというものを作る気は毛頭ない。
わたしは元気に生きていくのだ。作家になりたいんだ。そのためには本をたくさん読んでたくさん文章を書くしかないのだ。
やることがいっぱいあるのだ。やらねばならないことがたくさんあるのだ。
そして何より、そうしていることが楽しいのだ。

楽しいと思えることをもっと長い時間できるようになるためにも、病み垢を消して本当に良かったと思う。
これで自由だ! という気分である。
わたしは統合失調症だから、時折「死にてえ〜〜〜!」の発作がくることも確かである。
しかし、それをツイートしたところでどうにもならない。
ならば、もっと明るく楽しいツイッターライフを送るのが精神面でもいいのではないだろうか。
夢を追い続ける人間として、そのための作業のことや勉強の記録をつけていけばいいのではないだろうか。
「死にたい」だの「死ね」などとツイートするアカウントは最早地雷である。
病み垢をやめてから、いかに病み垢が地雷原かを思い知った。

今は明るく楽しいツイッターライフが送れているので、自分としては満足である。
それに、最近幻聴もあまり聞こえなくなってきた。
これは父さんがドラクエをやるために夜中まで一緒にいてくれることでわたしの心が癒されてるからなのだと思う。
病み垢をやめてから、人生が明るいものへと変わったような気がする。

全メンヘラ共に告ぐ。
病み垢をやっているならば、今すぐ消せ。
そして、趣味や特技、夢について語るアカウントを作れ。
そうすれば、だいぶ気持ちが楽になるから。
「死にたい」の発作も減ってくるはずだから。

久々にここまで長い記事を書いたような気がする。
ブログも、できれば毎日更新したいが、更新するためのネタがない。
でも、やはりその一日わたしがどう過ごしたかは記録しておくべきだと思った。
明日も、といっても、もう日付はとうに過ぎているのだけれど、また更新できればいいなと思っている。

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