嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「続・終物語」西尾維新

読み終えた。

このブログを見ている人は、おそらく「なぜこいつはこんなにも早くもう一冊本を読み終えているんだ?」と訝しむかもしれない。
もちろん、それには理由がある。
先程(マジで20分前そこら)に投稿した宮部みゆきの「この世の春」は、この「続・終物語」を読んでいる最中に読み始めたものだからだ。
なにせ、煽り文が「絶世の美青年が〜」なのである。
美少年美少女美青年美人が大好きなわたしのハートは見事「この世の春」に奪われたのである。
というわけで、それまで読んでいたこの本を後回しにして読み始めたという次第である。

さて、感想。
宮部みゆきの書いた本の次に西尾維新を読むと、文体が全然違うので、なんだか新鮮に感じられた。
どこまでも軽快でポップ。リズムのよい文章。
こんな文章が書けたらなあ、と思わされた。
と、ここでわたしは迷った。
わたしは、どんな文章を書きたいのだろう?
宮部みゆきの研ぎ澄まされた無駄のない文章に憧れる。
けれど、西尾維新のザッツエンターテイメントな文章にも憧れる。
まあ、どちらも書けるような作家になれば万事解決なのだが、わたしにそれができるだろうか。
わたしとしては、将来アニメ化されドラマ化され映画化され印税生活エンジョイしたいので、そうなるためにはどっちの文体を真似たらいいのだろうか。
まあ、こんなことは今考えていても詮なきことた。
わたしは、今わたしにできることをしよう。
それだけでいい。
こんなアウトローな生き方をしているわたしを支えてくれる父がいる。
いつか花咲かせてみせよう。
さて、早速修行と洒落込もうじゃないか。
今日は本を二冊読み切ることができて、大満足である。

にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村

「この世の春」宮部みゆき

読破した。

とにもかくにも文章が美しい。
まさに無駄のない文章。どうやったらこんな文章が書けるのだろう。
読み終えてしばらく呆然としてしまった。
わたしの目指すスタートラインはまだまだ果てしない距離にあるのだと痛感させられた。

わたしもいつかはこんな文章が書けるようになるだろうか。
いや、ならねばならぬのだが。
俄然、創作意欲が湧いてきた。
これからも読書を続けていろんなことを学んでいこうと思う。

にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村

勉強したい欲

今、わたしは猛烈に勉強がしたいのである。

今日、教員の父親から父親作成の現代文のテストをもらった。
解いてみたところ、48点とズタボロだった。
曲がりなりにも、わたしの夢は小説家になることである。
それなのに、現代文がこんなにできないのは非常にまずいと思ったのである。

だから、父親に学校から問題集を一冊持ってきてもらった。
レベルの高い高校で教員をしているので、問題集もレベルが高い。
けれど、レベルが高ければ高いほど燃えるものだ。
これをマスターして現代文を極めるのだ。

あとは、純粋にいろんな文を読んでみたいと思ったのも、現代文の勉強をしようと思ったきっかけでもある。
わたしは小説ばかり読んでいて、評論の類は読まない。
それもいけないな、と思うのである。
評論を読んで、いろんな思想に触れて、知見を広げていくことが大事なのではないかと思う。

平たく言えば、教養を培いたいということである。
わたしは、馬鹿であるわたしのことが許せない。
だから、賢くなりたい。いろんな物事を知っている人間になりたい。
強くそう思った。だから勉強をするのだ。

あとは、英語の勉強も随分サボっていたので、そちらも勉強を再開しようと思っている。
英文の小説が読めるくらいには、英語を理解することができる人間になりたい。

ドイツ語もロシア語も勉強したい。
勉強したいことだらけで、何から手をつけるべきか迷うくらいだ。

とにかく、一日一日を無駄にしたくない。
本が読めれば本を読み、文が書ければ文を書き、何にもやる気がしないときは勉強をしよう。
勉強は、一度やりだしたらずっとやり続けられるので、暇つぶしにはもってこいだ。

そんなわけで、わたしは今猛烈に勉強がしたいのである。
明日からがんばるぞ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

何事にも期待はするな

タイトルの通りである。
何事にも期待をしないでおくほうが生きやすいのである。

たとえばの話。
わたしは母に病気を理解してほしかった。
病気だからできないことがたくさんあるんだよということを知ってほしかった。
けれど、母は理解してくれなかった。
わたしはそれに痛く傷ついた。
実の親に理解が得られないことが苦痛で仕方なかった。

たとえばの話。
この前障害年金の申請に行ってきた。
二級で下りなかったらどうしよう。
そればかり考えてしまって、不安がどっと押し寄せた。
今、わたしは働けない状態にあるので、もし三級でしかもらえなかったらどうすればいいのだろう。
そう考えると恐ろしくてならなかった。

たとえばの話。
わたしの病気はいつか本当に寛解するのだろうか。
このままこの苦痛がずっと続いていくのではないか。
幻聴は止まず、動けもしない。
瀉血とODを繰り返すばかりの毎日。
こんな人生が続くくらいなら、さっさと天国へ行きたい。
そう思ってしまう。

たとえばの話。
わたしが信頼している人に裏切られたらどうしよう。
これだけ信じていたのに、それがいつか手のひら返されたらどうしよう。
そう思うと人が怖くてならなかった。

だから、わたしは期待するのをやめた。
何事にも、期待するのをやめた。
するとどうだろう。
すっと心が軽くなったのだ。
母が病気を理解してくれたらラッキー。
障害年金が二級で下りたらラッキー。
寛解したらラッキー。
裏切られなかったらラッキー。
そう、すべてのことがラッキーで済まされるのだ。
これは素晴らしいことである。
へたにうじうじ悩むこともなく、なにか良いことがあればラッキー。
そう思うことによって、精神の安定をはかれるのではないかと思ったのである。

何事もラッキー。
我ながら前向きでいいと思う。
これからは、何事もラッキーだということを念頭において生きていこうと思う。
だがしかし、作家になるという夢だけはラッキーでは済まさない。
わたしはいつか作家になる。
その意思だけは、強固に抱いておかねばなと思っている。

毎日がラッキーで溢れますように。
そう思うと、明日が楽しみになってきた。
今夜はよく眠れそうだ。
悟りを開いたメンヘラはある意味強いのである。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

母への接し方がわからない

タイトルの通りである。
わたしは母との接し方がわからないのである。

わたしの母は、かなり感情的な人だ。
話し合いをしようと思っても「やめて」「聞きたくない」の一点張り。
こっちが努めて冷静に話をしようと思ってもすぐ逃げる。
自分が聞きたくないことからすぐ逃げる。

わたしとて、母と喧嘩するのはメンタルにくるので、喧嘩がしたいわけじゃない。
ただ、話し合いをしたいだけだ。
そうやってわたしが母に歩み寄ろうとしているのを、母は自分が責められていると感じているらしく、「やめて」ばかり言う。

来年の春になったら、母と父は離婚する。
わたしは父についていくつもりだ。
しかし、このままこの家で母と過ごすことに限界を感じ始めてきた。
以前の記事にも書いたが、家出したい気持ちでいっぱいなのである。
あと数ヶ月、耐えられる気がしない。

実際のところ、母はわたしや父に主婦らしいことをしない。
弟が腹が減ったと言えばご飯を作るのに、わたしと父の分はない。
親の愛は無償の愛だなんて言葉は嘘だ。
わたしは母に家族だと思われていないのだから。
わたしが処方された睡眠薬欲しさに「寝るな」と言う母なのだから。

正直に言うと、わたしは母のことを母だと思っていない。
しかし、あと数ヶ月は一緒に過ごさねばならない母だ。
その数ヶ月間、平和に過ごしたいので、話し合いをして、なんとかお互いが気楽に過ごせる環境を作りたいのだ。
しかし、これがなかなかうまくいかない。

最近では、母らしいこともしてくれない母に対して、もう母だと思えないのだから、同居人くらいに思っておこうと思う毎日である。
病気について理解してくれるわけでもなく、都合の悪いことは聞きたくない。
そんなスタンスでいられると、こっちも愛想が尽きる。
なんとか母と思えるように努力はしているが、報われない。

どう接するべきか。
もう関わるのをやめるしかないのか。
関わるのをやめるしかないな。
うん、諦めよう。
これからは空気のように扱おう。
父が今、母にそうしているように。

最近暗い記事ばかりで非常に申し訳ない。
わたしも極力明るくポップなメンヘラでいたいのだが、環境がそれを許してくれない。
次の記事は、おばあちゃんちに明日行くので、明るい話ができると思う。

こんな心を開けっぴろげにしただらだらぶちぶちブログを見てくださる方々には、感謝してもしきれない。
最近星を押してくれる人が少なくなったのは悲しいが、まあ、読んでくださるだけで十分だ。
明るい話も書くので、よければまた覗きに来てくださると嬉しいです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

心が繊細すぎる人が苦手

まずは名前を「率」に変えました。
名前をころころ変えて申し訳ない。

さて、タイトルについてだが、今日ある人と揉めた。
その人は、心が繊細すぎる人だった。

きっかけはわたしのツイートである。
うつ病のくせに毎日活発に外出てる人間ってなんなの? ファッションメンヘラなの?」
もちろん、その人に対して言ったのではなく、ただ漠然と思ったことをツイートしただけである。
しかし、このツイートがその人の心に刺さったようだ。
その人曰く、
「薬飲んで無理のない範囲で外に出てるうつ病患者だっている、程度に差はあれど病氣と闘ってる人はいるのに、それをファヘラと一緒くたにするような発言は看過できない」
とのことだった。
まあたしかに、そうかもしれない。
わたしの発言は軽率だったかもしれない。
けれど、こちとら統合失調症で幻聴離人させられ体験、希死念慮自殺未遂外にもろくに出られず、外に出るときは父親の監視つきの人間なのだ。
今のわたしには、うつ病患者が元気にしていると「あなた本当にうつ病なの?」と思えてしまうのだ。

回復期にあるうつ病患者なのかもしれない。
でも、わたしはそれを考えられなかった。
ただ思ったことをツイートしただけだ。
わたしの発言に問題があったのは事実だが、わたしにはうつ病のことは全然わからないので、そういう発言をしてしまった。

その後、ラインでやり取りしたのだが、相手曰く、
「率ちゃんの言葉が胸に刺さることがあった」
「率ちゃんも病気であることを考えて、我慢しているところもあった」
とのことだった。

嫌なら見なければいいのに。
普通にそう思った。
それに、わたしの何気ないツイートにいちいち心を痛ませるくらいならフォローを外せという趣旨のことを送ったところ、フォローが外されていた。

わたしは基本的に自分の思ったことを自由に発言する。
ツイッターは、誰かに気を遣いながらやるものではないと思っている。
それなのに、わたしの言葉に傷ついていると言われても正直困惑するだけだ。
きっとその人は心が繊細すぎるのだろう。
だからといって、わたしがその人に配慮してツイートする義理はない。

最終的には、ラインだけ繋がっていてツイッターではフォローしない、という結果に落ち着いた。
まあこのくらいの距離感がちょうどいいな、と思った。

心が繊細すぎる人が苦手だ。
いちいち他人の言動に振り回される人が苦手だ。
確固たる「自分」を持っていれば、他人の言葉にいちいち傷つくことはないと思うのだ。
わたしはわたし。その人はその人。受け流せるものだと思うのだ。
それができなかったその人は、まあ、こう言っては悪いが、いわゆる「察してちゃん」だったのだろう。
自分が苦しくなることをツイートしないで。
自分は率ちゃんのツイートに心を痛めていた。
正直なところ、知ったものかという感じである。

いやはや、人間関係は難しい。
今回のように、繊細な人と接するのが一番難しい。
わたしはどちらかといえば人の言動をあまり気にしないタイプなので、誰が何を言っていても平気なのだが、世の中にはそういう人ばかりじゃないと思い知らされた一件だった。というか、もうマイノリティーに属するのではないだろうか、わたしは。

正直途中から面倒に思っていたが、その人のことは嫌いではないので、これからもやり取りしていく予定である。
そして、それが負担に感じ始めたら、縁を切ろうと思っている。

どんな言葉で人を傷つけるかわからないから言葉というものは恐ろしい。
わたしは他人が何を言っていても実害がなければなんでも「ふーん」で済ませられるので問題ないが、そうでない人もたくさんいるということを胸に刻んで生きていこうと思う。
と、言っても、わたしは自分の呟きたいことを自粛することはないので、これからもツイッターは好き勝手やっていこうと思っている。

長くなってしまった。
今回の件はだいぶ疲れた。
同じ轍を踏みたくないので、今後はツイッターから繋がったメンヘラとはラインの交換もしないし、あっさりとした関係を築ければいいなと思う。

以上。
心が繊細すぎる人が苦手という話でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

メンヘラ、まったく懲りないの巻

昨日はあんなうだうだと鬱屈とした記事を書いたが、わたしの基本的なスタンスは「明るくポップなメンヘラ」である。
ポップになれているかどうかは甚だ疑問だが、とりあえず明るいメンヘラでいようとは思っている。
というわけで、明るくポップなメンヘラは、なまじ元気なので元気に腕に針を刺し、またも死に瀕したわけである。

昨日の母親との喧嘩は、個人的にかなり心にきた。
今日も、「お帰り」といっても無視をされ、まともに会話もできなかった。
そこで悲しくなったわたしは、腕に針を刺した。瀉血である。
もういっそリストカットにしようかとも迷ったのだが、傷跡が残るのが嫌なので瀉血にした。

まずは薬をODします。
そして、梅酒を飲みます。
これで完全らりぱっぱメンヘラの完成です。
そして針を刺します。
血が出ます。

ここまではいい。ここまではよかった。
ところがどっこい。
わたしは腕に針を刺したまま寝ていたのである。
こうなると、どうなるかは想像に易いだろう。
身体が冷えて、目が覚めた。目の前は真っ暗だった。
なんでこんなことになってるんだろう。
そして、腕に刺したままの針と、血まみれの浴槽をぼんやりとした視界で見て思い出した。
「ヤベエ! 死ぬ!」わたしは、大急ぎで針を抜いた。 前もろくに見えない状態で、とりあえずシャワーで血を洗い流して、その後は布団に突っ伏した。
身体がまったく動かなかった。死ぬのかな、と思った。

人間とは不思議な生き物で、わたしはいつでも「もう死んでもいいや」って思いながら瀉血をするのだが、実際に死が間近に迫ると、途端に「いやだ! 死にたくない!」と思ってしまうのである。
本当に不思議だ。
まあ、なにより不思議なのは、ここまで派手に瀉血しておきながら、現場を家族に絶対に見られていないわたしの隠遁術なのだが。
万が一瀉血して浴室でひっくり返っているところを目撃されたら、措置入院待ったなしだからな。
決して現場を見られるわけにはいかない。その一心で、これまでなんとか目撃されずに済んできたのだ。

正直な話、わたしのメンタルは今ずたぼろだろう。
腕に頻繁に針を刺しまくっているのが何よりの証拠だろう。
それでも、入院できない。ネット環境がないと死ぬタイプのメンヘラなのである。
この先、うっかり瀉血で本当に死んでしまうことがあるかもしれない。
まだ、生きてやりたいことがあるくせに、身体は死にたがっている。摩訶不思議である。

本当は、もっと明るい記事が書きたいのだ。
メンヘラオモシロブロガーとなって、今いる50人以上の読者様をもっと楽しませたいのだ。
「こりゃ~おもしろいブログだな」と思ってほしいのだ。
なのに、最近のわたしのブログといえば、鬱屈とした話が多い。
「お前、明るいポップなメンヘラじゃないのかよ、なんかおもしろい話しろ」という感じである。
いや、本当に申し訳ないと思っている。
なぜこのブログにこんなにも読者がいるのか、毎度毎度不思議に思っているくらいである。

おもしろいブログが書きたいのだが、どうすればいいだろうか。
瀉血で死にかけるのは頻繁にあることなので、何度もそれを書くのも憚られる。
だからといって、「幻聴は天啓である」というタイトルで幻聴がいかに尊いものかを懇々に語る記事ははっきり言って「お前今すぐ入院しろ」事案になってしまう。
ということで(?)、「こんな記事が読みたい」みたいなものを募集してみたいと思う。
なにか「こんな記事が読みたい」という要望があったら、是非コメント欄にコメントしてほしい。
「いや、そのままのお前でいいよ」っていう人は、スルーしてほしい。
仮に、これで「こんな記事が読みたい」という要望が来なければ、いつも通り、わたしが思ったことをつらつらと書くだけなので問題はない。
何かあったら、是非、コメントしてほしい。いや、してください。お待ちしております。

ということで、今回の記事も、要約すると、「またも瀉血で死にかける」ということである。
懲りないメンヘラなのである。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村