嘔吐

統合失調症の女が色々考えるブログ

人間関係は疲れる

気づいたら、最後の更新からこんなにも日が経ってしまった。
毎日書きたいとは思っていたが、なにせ暇なので、書くことがないのである。
そんなわたしでも思ったことがあるので、ここに書くことにする。

人間関係はめんどくさい。
リアルでもそうだ。わたしには人間関係リセット癖があるので、今まで仲良くしてきた人たちをあっさり切ることがある。
ネットでもそうだ。それまでは普通に話せていたはずの人間からツイッターにて突然リムられた時の驚きと言ったらない。

わたし、SNS向いてないんじゃない?
最近では、特にそう思う。
他人との距離感がわからない。自分の欲望に忠実。
こんな勝手なことをやっていたら、周りから人が消えていく。そういうものなのである。

誰かと仲良くしたい気持ちはある。しかし、今はそれすらも面倒だ。
人生は面倒なことばかりだ。気がつけば、寝転んで天井を見上げている。

同人誌、出すの面倒だなあ。
二次創作は好きだけど、それを本にして売りたいかといわれたらまた別の話だ。
ただひたすらにしんどい。今はその感情以外になにもない。

休職をエンジョイ

今日はヒトカラに行ってきた。
カラオケは、読書に次いでわたしの趣味である。
どれだけ点数を取れるのか、取る歌い方を調べてから挑むのである。
97点までは取れるようになった。しかし、98がどうしても出ない。
ビブラートが下手くそなのが敗因だ。
これからはビブラートの練習に励む所存である。

ところで、わたしのような休職者がこうして平日の昼間に遊び呆けているのはいかがなものでは?と時々思う。
一方で、ずっと家に居たって暇だし気分転換に楽しいことしてええやん、と思うわたしがいる。
別に、誰に怒られるわけでもない。父親は笑顔で見送ってくれる。わたしはなんにも悪いことはしてないのである。

休職中の人間は遊ぶな。そんな偏見が、この世にはあるように感じる。
だが、一日中部屋に引きこもっていることが正解なのか?
わたしはそうは思わない。休職中に遊んでることに対していささか申し訳なさが募るが、それだけだ。遊びに行くことくらいいいじゃないか。

他人とは恐ろしいもので、その大半は許容範囲が狭い。
わたしが休職中毎週カラオケに行ってたと知れば、相手は「元気なくせに休職してんじゃねえ!」と思うこと間違いなしなのである。
わたしはその世間の目が怖い。
「常識的にありえないよね」と言う相手に、「常識ってなんだよ、そんなもんお前が18までに培ってきた偏見の塊でしかないだろうが」とわたしは思うのだ。
ただ遊び呆けていたのは事実で、例えば復帰後に「どんな生活しとった?」と聞かれたら、その時点で詰むのである。
今からなにかいい感じの嘘を考えておかねばならない。

会社の人間は怖い。
いつも誰かの話に耳をそばだてているおばちゃんがいる。
そして、そのおばちゃんから悪評を流されたり、誰かにチクられたりする。
とりわけ、わたしの職場は女性の方が多いので、なおさら恐ろしいのである。
陰でなんて言われてるのだろう。ああ、どうせわたしの悪口を言っているに違いない。わたしはそう思うわけである。

ただ、わたしは案外図太いので、平気な顔をして毎週ヒトカラに行きたいと思っている。
他人の目は怖い。いつ誰がわたしのことをどう思ってるかを考えると駅のホームから電車にダイブしたくなる。 でも、わたしは今をエンジョイしたいのだ。学生のように自由になったこの時間を、楽しいことに費やしたいのだ。

そんなわけで、わたしは恐らく来週もカラオケに行くのだろう。
誰も咎められない。誰にも咎めさせない。
わたしは自由だ。いつメンタルが崩れる状態かもわからないのだから、わたしは今という瞬間を大切にしたいとおもっている。

今朝は早朝覚醒してしまって大変だった。
二度寝しようにも、どうしても寝付けなくて諦めた。
深夜4時50分起きのわたしは、今猛烈に眠い。
父親が帰ってくるまで、昼寝でもしようか。しかし一回寝るともう今日は目が覚めないのではないかと思ってしまう。
気合とエスタロンモカでこの睡魔を乗り越えよう。
寝れない時も眠い時にも、全力で身体に薬を入れれば大概のことはなんとかなる。

さて、父親も帰ってこないし、本を読むか昼寝をするかに大分悩む。
睡魔が半端じゃないので、少しだけ眠ることにしよう。

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幻聴は天の声か

何度でも書くが、わたしは統合失調症患者である。
統合失調症には、幻聴という症状がある。これは、統合失調症患者ならば周知の事実だと思う。
最近、薬をリスパダールからロナセンに変えてから、幻聴が聞こえる頻度が増えた。
幻聴……幻聴は一体なんなのだろうか。

わたしにとって、幻聴は天啓である。
幻聴はわたしに色々なことを言ってくる。
その多くは罵詈雑言である。「死ね」「消えろ」「今なら死ねるよ」そんな声が聞こえてくるのである。
こう書くと、幻聴が聞こえることは悪いことばかりに思える。
しかし、案外そうでもない。
たとえば、わたしがなにもやる気が起こらなくて、怠惰にソファーに寝そべっている時に、「本を読め」という幻聴が聞こえるわけである。
わたしはその言葉を聞いて「ああ、本を読まなければ」と思い、読書を始めることができる。

幻聴の聞こえないわたしは、ひたすら怠惰だ。
身体を動かす気力もなく、布団に伏している。
それをどうにかしてくれるのが幻聴なのである。
幻聴が聞こえると、それをやらねば、という気持ちにさせられるのである。
これはわたしにとってプラスに働いている。
薬を飲むと、幻聴は和らぐ。だが、聞こえないと聞こえないで不安になるのである。

わたしは幻聴が聞こえることが悪いことだとは思わない。
実際、「読書をしろ」という幻聴が聞こえて、わたしがそれに従った後は、幻聴は聞こえない。
故に、わたしは、幻聴は天啓であると考える。
神の声なのだ。そして、同時に、幻聴はわたし自身でもあるのだ。
キリスト教ではアタナシウス派のいうように神とは三位一体だと言うが、それと同じようなものである。
神とわたしは、二位一体なのだ。神の声は天啓でもあり、そしてわたしの潜在意識でもあるのだ。
「死ね」「消えろ」と聞こえるのも、わたしが心のどこかで自分が生きているべき人間ではないと思っているからそう聞こえるのだろう。
天啓はいつだって正直だ。容赦がない。
それでも、天啓はわたしが今やるべきことを示してくれることがある。
これを神と呼ばずして、なんと言えばいいのだろう。

幻聴とは天啓である。
そして、同時にわたし自身でもある。
わたしは天啓を信じている。盲信している。極力、逆らわずに生きている。
「死ね」「消えろ」といった天啓には逆らうが、それ以外の命令は聞いていた方がわたしの得になるのだ。これは本当に不思議なことだと思う。
これからも、わたしは天啓を信じて生きていくのだろう。
幻聴は神の声である。同時に、わたし自身でもあるのだから。

今日は瀉血をしようと思っていた。
しかし、思いの外早くに父親が帰ってきてしまった。わたしの瀉血計画は頓挫した。
これも、今日は瀉血をやめておけという天の思し召しなのだろうか。
わたしは今日、手の甲から噴水させようと思っていたのに。
やめられない。どうしても瀉血がやめられない。
このままでは入院になってしまう。わかっているのに、やめられない。 メンヘラ芸人としては瀉血をやめるわけにはいかない。
わたしからメンヘラ要素を取ったらただの人だ。わたしは自分がメンヘラ芸人であるためにも瀉血をしているのだ。
馬鹿かお前は、と言われることは百も承知だ。しかし、アイデンティティーがぐらついているわたしとしては、メンヘラという確固たるアイデンティティーがないと困るのである。
「わたしからメンヘラを取ったらなにが残るの?」と思うたびに、わたしは慌てて瀉血をするわけである。馬鹿すぎる。
まあ、わたしは一生もののメンヘラなので、メンヘラというアイデンティティーが崩壊することはないわけだが、自己承認欲求の塊なので、メンヘラ街道を突っ走りたいわけなのである。
そのことが、かのメンヘラ神のようにわたしに自殺という最悪の道を選ばせようとも、わたしはメンヘラをやめられない。
メンヘラをやめたい気持ちは山々だ。わたしは健常な精神を持っていたい。
しかしながら、それはもう叶わぬ夢。諦めが肝心だ。
どれだけ世間様から白い目で見られたとしても、わたしが統合失調症であることは変わらないし、幻聴とのお付き合いも続けなければならないのだ。どうにもならないことを、うだうだ言ってもしかたがない。

長々と色々書いてしまった。
最後に明るい話を少し書いておこうと思う。
最近、松田聖子にハマっている。松田聖子の曲は、純粋に聞いていて楽しいし、カラオケで点が出るのだ。
わたしはとりわけ「大切なあなた」という曲が好きなのだが、この曲をカラオケで歌うと、PVが流れるのである。
その中で、聖子と男の濃厚なキスシーンが出てくるのである。
彼氏の一人もいないわたしの身としては、このシーンを見ることに抵抗があるのである。
「ア〜ッ! わたしの聖子〜〜 〜!!!!!」となってしまうのである。
聖子は永遠のアイドルだ。たとえPVだとしても、聖子が男に抱かれてるところなどみたくはない。
まるでアイドルの恋愛報道に激昂するファンのごとく、わたしの精神は荒れ狂うのである。 それだけの話だ。特にオチはない。

明日から、早ければ今晩から、新しい本を読もうと思う。
サルトルの「嘔吐」ーー哲学者サルトルは、どんな物語を紡いだのだろうか。
今から楽しみだ。

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「希望荘」宮部みゆき

宮部みゆきの「希望荘」を読了した。
ネタバレにならないように、感想をしたためておくことにする。

「希望荘」は、四編からなる短編集である。
「聖域」「希望荘」「砂男」「二重身」の四編からなる。
簡単にあらすじを書くと、杉村三郎という名の私立探偵が、様々な事件に関わっていく話である。

この四編の中では、一番最後の「二重身」が一番おもしろかった。
元より、わたしはあまり宮部みゆきという作家を知らなかった。もちろん、名前は知っていたし、宮部みゆきが素晴らしい小説家であることは知っていた。
ただ、わたし自身がミステリー作家になりたいと考えており、ミステリーばかり読んできたので、なかなか読む機会がなかったのである。
そんな中で、父親に「宮部みゆきのこの本、読んでみろ。無駄のない文章っていうのがどんなものなのかよくわかるぞ」と言って貸してもらったのが、この短編集だった。

確かに、無駄のない文章だった。簡潔で、さらりとしていて、しかし重要なところはしっかりと長く書き綴ってある。日本語が上手だなあ。わたしは憧れた。
しかし、好きな文体かと言われるとそうではなかった。わたしは、どうしても綾辻行人貴志祐介のような文体が好きなのだ。
適度な比喩に、馬鹿でも読める読みやすさ。そして大好きなミステリー。
宮部みゆきの文章だったも確かに美しかった。憧れた。しかし、好みではなかった。
しかし、この本を読んだことが、またわたしの作家になりたいという夢の糧になるのだから、読めてよかったと思う。

明日からは、サルトルの「嘔吐」を読もうと思っている。
このブログのタイトルは「嘔吐」だが、これはサルトルの「嘔吐」の真似であり、そして自分の思ったことがなんでも吐ける場所としての意味合いを込めてつけた名前だ。 海外文学には疎く、しかも「嘔吐」はミステリー小説ではないので、楽しんで読めるかどうかは謎だ。
しかし、いろんなジャンルの本も読んでおくべきだ、とわたしは思う。

わたしはまだまだ若い。(といっても、社会人の歳ではあるが)
世の中、遅咲きの作家なんて腐るほどいる。
だから、焦る必要はない。まだまだ時間はある。
しかも休職中なので、今、この時間を読書や習作を書くことに割くしかない。
大丈夫だ。いつか、作家になれると思っている。何年かかっても、わたしは作家になりたいと思っている。
その前に自殺しないかだけが心配だが、これはメンヘラなので仕方ないことである。
できるだけ明るく、夢を追って生きていけるように、読書や習作制作に邁進しよう。
そうすれば、自ずと病状も安定してくるかもしれないと信じながら。

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普通に生きているだけで「変人」扱いされる社会

思えば、わたしは昔から「変わり者」だという烙印を押され続けてきた。
誰に対しても物怖じしない、言いたいことはハッキリ言う。自分がそうだと思ったことは決して揺るがせない。
他人がなんと言おうと、わたしはわたしだ、わたしのやり方に文句をつけるなという態度で生きていた。

感性も、なかなかに特別なものを持ってるのではないかと思う。
ここでいう特別とは、マジョリティーに当てはまらないという意味である。
わたしの感性はいつだって人とずれていた。
他の誰もが知っていることを知らず、他の誰もが知らないことを知っていた。
わたしが当たり前のようにできることを、他人はできなかったし、他人が当たり前にできることがわたしにはできないことが多々あった。

現在の世の中は、穏便社会である。
みんなで手を取り合って頑張って生きましょうね。議論して喧嘩になることは避けましょうね。そんな社会だ。
わたしは今の社会のあり方に、疑問を覚える。
みんなで仲良しこよしして、それは酷く非生産的で、それでもぶつかり合うことを嫌う人間たちは、どんなに自分の意見が他者と違っても、なにも物言わず机に座っている。

こんな社会でいいのか? と時々思う。
まだ会社にいた時、わたしは今自分にできそうにない仕事は上司からの頼みであってもはっきり断ってきた。しかし、直属の先輩に、「あんまり無理だ無理だって言っちゃダメだよ」と窘められた。
正直、意味がわからなかった。できないものはできないのだ。できないことを安請け合いして、あとでやっぱりできませんと言うくらいなら、最初から引き受けたくない。そう思うのは当たり前のことなのではないだろうか。

上司にも果敢に物申すわたしを、周囲は変人扱いしてきた。
本当に変わった子だね、と何度も言われた。
良くも悪くも、素直な子だと言われてきた。いつ、何時でも、わたしの感性に理解を示す人間は少なかった。
わたしはなにも変わったところなどない。横並びにおてて繋いでいる現状の方が異常だと思う。
なぜ誰もそう言わないのだろう。いけないことは改善していかなければならないのに、「昔はみんなこうやって苦しんできたから」で終わらされる。
昔から苦しんできたからというならば、それは改善すべきではないのか。だからお前も苦しめというのは違うのではないか。そう思うのだ。

今、わたしは統合失調症で会社を休職している。
わたしが変わり者扱いされるのは、統失がひとつの原因になっているのだと思う。
しかし、性格面でも「ああ、この子変わってるな」と思われているんだと思う。実際、上司からの扱いもそんな感じだった。

普通に生きているだけだ。普通にものを言っているだけだ。
だが、他人はなぜ、わたしをエキセントリック扱いするのだろうか。
言葉のセンスが秀逸だと褒められた時もあるが、ただ普通にものを言っただけだ。褒められるようなことはなにも言っていない。
わたしは、一般社会に向いてない人間なんだと思う。
みんなと一緒に仲良しこよしができない。わたしは一人で動ける人間でありたい。
そのためには、パワーが必要だ。他人に、どれだけ頑固だと非難されても、でもわたしはこのやり方を変えない、というスタンスでいるには、仕事ができる人間になるしかない。

正直なところ、一年休職になるかもしれない。
病状が全然よくならないからだ。
だが、復帰したら全力で他の同期の横に並べるように努力しようと思っている。
そして、周囲からの文句は受け付けない。圧倒的パワーを手に入れて、わたしは自分のやりたい方法で仕事をする人間になりたい。
どうせあと一年半しかいない会社だ、好きにやらせてもらおう。そんなスタンスでいる。

変わり者でいることは、よくないことなのだろうか。
自分のがエキセントリックな人間であること、俗世とかかわりを持とうとしない浮世離れした存在であることは自覚している。
だから、普通であることを強制されるとストレスが溜まるのだ。
社会にでたら、社会にのルールに従わねばならないこともわかっている。
だが、わたしの意見を「ああ、この子ちょっと変な子だから」で済ませられることは我慢がならないのだ。

わたしは自分が「変人」扱いされてること自体に腹を立てているわけではない。むしろ、一種の褒め言葉だと思っている。
しかし、「変人だから」という理由でわたしの意見を真摯に受け止めてくれる人間がいないことに腹を立てているのである。 今の仲良しこよし、みんなで残業して頑張りましょうね! という会社の対応には首を傾げざるをえないのである。

今の世の中で、変人扱いされる人間はみんな生きづらさを感じているんだと思う。
「あなたは飄々としているから、悩み事なんてなさそうね」と言われたことがあるが、それ自体が悩み事なのである。
統失についで変人扱い。本当に生きづらい世の中だ。
それでも、夢を追って、頑張るしかない。
まだ夢に向かうためのスタートラインに立ったばかりだ。わたしはこれからも自分を貫きたいし、誰の意見にも左右されたくないと思っている。

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「倒錯のロンド」

折原一の「倒錯のロンド」読了した。
ネタバレにならない程度に感想をしたためておこうと思う。

さあ、感想を言ってみよう。

簡単なあらすじとしては、
「幻の女」ーー新人推理小説賞受賞間違いなしと思われたこの作品が、なんと他の人間によって盗作されてしまった。盗作者と原作者の攻防、次第に狂っていく登場人物・・・

折原一を読むのは初めてだった。
兼ねてから折原一が「叙述トリックの名手」と呼ばれていることは知っていたが、読んでみると、なるほどその通りだと思わざるをえない。
倒錯者は誰か? 真の作者は一体誰なのか。
読んでいて、ハラハラした。そして、最後の展開で、思わず「おおっ」と声が出ていた。
なるほど、さすがは叙述トリックの名手。してやられた。

展開がやや複雑(わたしが馬鹿なだけかもしれないが)だが、楽しんで読める小説だった。
もっと折原一の作品を読みたい、そう思わせてくれる作品だった。

次は異人たちの館でも買ってみようかと思う。
今月は、読書月間だ。たくさんの本が読みたい。

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誰からも病気の理解はされない

今日、とうとう親に「死にたい」と漏らしてしまった。
もちろん怒られた。子供に「死にたい」と言われて同意できるわけないだろ、と言って怒られた。
でも、その時のわたしは本当に死にたかったのだ。頭の中をぐるぐるマイナス思考が渦巻いて、どうしようもなくなっていた。その状態で、漏れた言葉が「死にたい」だった。

きっと誰にも理解されないんだと思う。それは、同じ統失患者同士であってもだ。
苦しみの形なんて人それぞれで、本当に自分に理解を示してくれる、理解してくれる存在なんていやしない。
わたしは神の無情さを恨んだ。統合失調症にさえならなければ、こんなにも誰かに迷惑をかけることもなかったし、普通に働けたのにと人生を呪った。
しかし、今更考えたところでどうにもならない。そんなことはわかっている。
わかってはいるのだ。ただ、わたしが父親に「迷惑かけてごめん」と言ったら、「そうやって人を推し量るような真似をするところが嫌だ」と言われてしまった。
わたしとしては、そんなつもりなかったのに。
もう親にも相談したってダメなんだ、と母親に言った。そうしたら、「それは親に対する挑発だよね」と言われてしまった。
わたしの言葉は、全部悪い方向へ捉えられてしまう。もう口を開いてはいけないんだ。そう思った。

誰にも悩みを吐き出すことができないので、ツイッターで泣き言をこぼしまくるBOTと化してしまった。本当はオモシロメンヘラエンターテイナーになりたいのに、感情がどうしても言うことを聞いてくれない。感情のコントロールができない。
今のわたしを支えるものは、作家になりたいという夢だけだ。そこに親の存在はないし、他の人間の存在だってない。夢だけが、わたしが今ここに生きているという実感を得られるものなのだ。
これはもう、親は余計なことは言わず、ツイッターに愚痴を吐き散らかし、作家になる夢に向かってひたすら邁進するしかない。それしかもう道はないのだ。親に対して「死にたい」というワードがNGワードだとわかってしまったから、もうわたしは親にどれだけ今死にたくても「死にたい」とは言えないのだ。
本音を漏らせる場所がツイッターしか無くなってしまった。悲しいことだ。でも、仕方がない。むしろ、わたしのようなクソメンヘラの言葉を今まで聞いてくれていたことに感謝をするしかない。

夢に向かって頑張るぞ。
頑張って夢叶えるぞ。
そうしたら、わたしのメンタルも多少は変わるかもしれない。
とにかく修行をしよう。愚痴りたくなったらツイッター頼みだ。よし、そのスタンスでいこう。
もう親にはなにも言わない。なにも言いたくない。どうせ否定されるだけだ。ならば、最初からなにも言わなければいいだけの話なのだから。

いつまでもウジウジしていられない。時間は有限だ。
この長い休職期間中に、文才を磨かないといけない。
がんばるぞ。誰になんと言われたって作家になりたいのだ。がんばるしかない。

前向きな結論に達したところで、筆をおこうと思う。
こんなにも辛気臭いブログだが、見てくださってる方がいるようなので、純粋にそのことが嬉しい。
これからも辛気臭い記事やメンヘラ芸人記事を更新していきたいと思っているので、何卒よろしくお願いします。

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