嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

12月もニート確定

復職ゴーサイン出ませんでした。

薄々こうなることは自覚していた。
なにせお昼だけで飲む薬が7錠もあるのである。
仮に主治医が「会社行ってもいいよ」と言ったところで、その後の産業医面談で引っかかること間違いなしなのである。
そんなわけで、半ば諦め気味に医者に行ってきたのだが、やはり目の前で「ん〜復職無理ですね」と言われてしまうと心にくるものがある。

いつになったら社会復帰できるのだろう。
傷病手当は12月までしか出ない。
そのあとは無給だ。無給で人は生きていけないのである。

なんとしてでも1月には復帰したい。
しかし、あと1ヶ月で劇的に病状が改善されることはないのである。
これは非常に困った事態だ。

再来年になれば、父親と二人暮らしができるので、仕事を辞めて親の脛かじりながら生きるつもりだが、再来年の春までは自力で頑張らねばならない。
すべては再来年の春にかかっているのである。

正直なところ、今の会社へはもう戻れないんじゃないかと思う。
猶予はもう数ヶ月しかない。
それまでに寛解する気がしない。
人は怖いし食べ物には毒が入っているし世界は滅びそうなのである。

うだうだ言ったところで何も変わらないので、12月もニート生活を満喫することにした。
この1ヶ月読書と文章書くことに専念することにした。
今できることはそれしかない。
ならば、今できることをしっかりやるしかないのである。

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「ネコソギラジカル(上)」西尾維新

読んだ。

この本は上巻、中巻、下巻とある大作である。
なんとか1日で上巻を読み終えた自分を褒めてやりたいほどの分厚さである。
内容は、戯言シリーズ最終巻とあって、これまでの登場人物揃い踏みといったところである。
終わりも、はやく中巻か気になる終わり方であった。

今日中巻を読み始める体力はないので、中巻を読むのは明日に回すことにする。
しかし西尾維新の文章は本当に読みやすい。びっくりするほど読みやすい。
読みやすすぎて、四時間ほどで読みきってしまえた。
しかし、西尾維新の読みすぎで自分の文章が西尾維新に感化されつつあるので、そこだけは気をつけたいと思っている。
わたしは西尾維新にはなれないのだから。

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「死にたい」という発作

死にたいわけじゃない。
まだまだ生きてやりたいことがたくさんある。
それでも、定期的に「死にたい」という発作がやってくるのである。

そもそもの話、わたしは人生に絶望している。
統合失調症という病ですと医者に言われた日から、ああもう治らないんだと思った記憶がある。
わたしは障害者なんだ。
統合失調症という病の障害者なんだ。
そして、寛解はすれど完治はしない病気であると。
そう知ったときから、普通の人間の輪の中に入ってなにかしようという考えは消えた。

わたしはキチガイなんだ。
薬が効いてないとき、感情のコントロールができない。
そういうときに「死にたい」がやってくる。
本当に死ぬとまずいので瀉血で済ませてるわけだが、瀉血でも二度ほど死ぬ思いをしている。
今まで措置入院にならなかったのが不思議なくらいである。

病状の改善も見られない。
最近は、食べ物に毒が入ってるのではないかという思いから誰かの手作りご飯が食べられなくなった。
不思議とお惣菜は食べられるのだが、人の手で作られた料理に手をつけるのが怖くなってしまった。
明後日は医者に行く日だが、こんなことを話してしまえばまた社会復帰が遠のいてしまう。
父親に相談したところ、そのことは言わないほうがいいと言われた。
しかし、わたしが実際に食事に毒を盛られていると思っているのは事実で、それを医者に隠してもいいのだろうかと迷う。
症状としてそういう念慮があるのだから、言うべきではないかと思う。
しかし、そんなことを医者に言えば……
わたしの社会復帰が遠のくのである。

何かしているときも、何もしていないときも、漠然と苦しいときがある。
「死にたいな」と思ってしまう。
でも実際に死にたくはないので腕に針を刺すだけの半端メンヘラになってしまっている。
これからも「死にたい」と思う度に腕に針を刺すのだろう。
滑稽すぎて笑うしかない。

生きていたい。
生きていたい。
しかし、世の中は苦しみだらけだ。
たとえいっとき症状が治まったとして、社会復帰したらまたぶり返す可能性だってある。
発作的に駅のホームから飛び降りるかもしれないし、マンションの最上階から身投げするかもしれない。
死ぬ間際に見る景色は一体どんなに綺麗なのだろうか。
このコンクリートだらけの世界で、死ぬ間際だからこそ、薄汚れたビルの壁や人々の残業によって映し出される夜景がいっとう美しく思えるのだろうか。
死ぬときは美しいものを見て死にたい。
最後に、自分がいた世界はこんなにも美しかったんだと感じて死にたい。

ここまで書いてきてなんなのだが、死にたいわけではない。
決して死にたくはない。ただ、死にたいという発作にいつまで耐えられるのかが問題なのである。
これまでに三度も自殺未遂をして、その度に人に迷惑をかけてきた。
迷惑をかける度に、わたしがいなくなればこの人たちは楽になるんだろうなあと思った。
死なねばいけないんだと、強く思った。
けれど、わたしはわがままな人間だからまだ死にたくない。
わたしの存在が他者にとってどれだけ不要な存在でも、疎ましい存在でも、わたしの生を否定する権利のある人間はいない。
たとえ誰に「死ね」と言われたところで、最終的に死ぬか死なないかの決断をするのは自分だ。
生死は常に自分が握っている。

明後日に医者へ行くが、社会復帰できるのだろうか。
ゴーサインは出るのだろうか。
数多の人が殺人犯に見えていて、食事には毒が入っていて、自分は虫ケラのような存在で、薬がないとただのキチガイで。
そんな状態で社会復帰できるのだろうか。
おそらくできない確率70%ほどだと思うので、もう少しニート期間が長引くかもしれない。
明けましておめでとうございますと同時に復帰になるかもしれない。
なんにせよ、ゴーサインを出すか否かは医者の決めることであってわたしが決めることではない。

発作的に死にたくなることもある。
むしょうに悲しくて泣いてしまう夜もある。
ちゃんと働いてお金を稼ぎたいと思う自分がいる。
でも身体が意思についていかない。

この発作があるうちは外に出るのは危険かもしれないとわたし自身感じている。
現に車と接触事故を起こしているわけなので、危ないなあと思う。
でも、それでも、働かねば人は生きていけないのである。
追っている夢もあるし、ここでくたばるわけにはいかない。

まとまりのない文章になってしまったが、とりあえず今の心境をぶちまけてみた。
わたしは愚かな虫ケラと同じだ。
でも、虫ケラは虫ケラらしく生きていこうと思っている。
いつの日か、「死にたい」と思わないで済むような自分になれたらいいなと思っている。

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「新世界より(下)」貴志祐介

読み終えた。

結末はとうの昔に知っていたが、読み進めていくうちに心に湧く高揚感はなんともいえないものがある。
これだけ人を惹きつけることができる文章が書けるだなんて。
素晴らしい、すごい、尊敬する。
これで数回この本を読んだわけだが、何度読んでもおもしろい。
ゾクゾクする展開は何度読んでも楽しませてくれる。
おそらくこの本は、わたしが今まで出会って来た中で一番素晴らしいと思える本になるだろう。
今後読書をしていて、また素晴らしい一冊に出会えるかもしれないが、現状ではこの本が一番だ。

さて、「新世界より」を読み終えたので、次なる本を読もうと思っている。
図書館から借りた西尾維新の本が山積みになっているので、その消化をしようと思っている。

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生きるのに疲れてきた

タイトルの通りである。
生きるのに疲れてきたのである。

今、わたしは療養生活をしに実家へ戻っている。
しかし、母にまったく病気について理解を得られていないので、毎日苦しいのである。
元より母は無神経な人だ。無神経というよりはわがままだと言った方が正しいかもしれないが。
その母が、「おもちちゃんが全部家事やって」などと無茶振りをしたりするのである。
わたしは統失である。身体が動かない日は本当に動かない。しかし、それすら母には関係ないようで、わたしが自分の思い通りに動かないとキレるのである。

昨日、母と喧嘩をした。
もう母のことは親だと思えない。母もきっとわたしのことを子供だとは思ってないだろう。
父親相手にそうぼやいていたのを、うっかり聞かれてしまったのである。
「どうしてそんなひどいことを言うの?」と母はわたしに言った。
しかし、わたしとて理由もなくそんなことを言うわけではない。
療養のために実家に戻ってから、母は親らしいことを何一つわたしにしてくれなかった。
一日中家にいる日でも昼ごはんを作ってくれるわけでもなく、食材も何もないので結局わたしは何も食べられない。そんな日が続いた。
わたしが苦しい時にいつもそはにいてくれたのは父だけだった。
父だけが心の拠り所だった。
そんな父と母は不仲で、互いに会話をする時は何か頼み事があったりする時だけだった。
母は、父がわたしを甘やかし過ぎている、もっと躾けなければいけない、と言う。
その言葉自体は正論である。わたしもいっぱしの社会人だし、料理も洗濯も風呂掃除もしなければならないのはわかっている。
できる時はできる。でも、どうしてもできない時がある。
母はその辺りを理解してくれない。
昨日の喧嘩は結局父がその場を収めてくれたが、今日母はわたしの晩御飯だけを買ってきてくれなかった。
もうダメだな。そう思った。
やっぱり母を家族として見るのは無理だと悟った。
こんなやり方でわたしをいじめる母のことを、信用できなくなった。
母もわたしを子供だと思ってないに違いないと確信した。
これ以上この家にいることは無理だと悟った。

来週、医者に12月から復帰したいと喚いてくるつもりだ。
働けないうちは、この家にいなければならない。
だが、働き始めるなら、元いた祖父母の家へ帰れる。
母のいない家に帰れる。

実の親である母を母として見れなくなり、料理も用意してもらえず、療養しているはずなのにストレスは溜まるばかりだ。
このままでは四度目の自殺企図をするかもしれないし、またも瀉血で死にかけるかもしれないし、今度こそ死ぬのかもしれない。
親を信用できないことがここまでストレスになるとは思わなかった。
早く死んで楽になりたいな、と思ってしまった。
この環境の中で生きることに疲れてきた。
きっと環境が変わればまた生きる希望、夢が戻ってきてくれるはずだ。
だから、来月からは働きたい。おそらく医者は渋い顔をするだろうが。

なんにせよ、疲れてしまっているのは事実だ。
こんな扱いを受けながら生きるのは苦痛だ。
父も仕事が忙しいので、四六時中わたしと一緒にいられるわけではない。
わたしは、一人で立たねばならない。一人でも生きていける人間にならねばならない。
母を見捨て、そして見捨てられた今、わたしは父親に頼る他ないし、できれば父親に迷惑をかけたくもないので自立しなければいけない。
しかし、自立するより自殺した方が早いなと思うことも事実である。

幻聴がやまない。
全部お前が悪いんだ。そんな声が無限に聞こえてくる。
たしかに、わたしが全部悪いんだと思う。
わたしは生きていていいのだろうか。
生きるのに値する人間なのだろうか。
そう考えていると、人生に疲れてしまったのである。

盛大な愚痴記事になってしまったが、これが今のわたしの心境である。
やりたいこともある。行きたい場所もある。
なによりわたしには夢がある。
それでも、少し疲れてしまった。
わたしはどうすればいいのだろう。
わたしはどこへ行けばいいのだろう。
わたしは誰に助けを求めればいいのだろう。
全部わたしが悪いことは自覚している。それでも、助けてほしい。
その助けが死ぬこと以外にないのなら、いずれわたしは死ぬのだろう。
けれど、まだ死にたくない。生きていたい。
自分に生きる価値があると、そう自己暗示しながら生きていくしかないのだろうか。
なんにせよ、明日は瀉血コース待ったなしである。

穏やかに暮らしたい。
好きで病気になったわけじゃない。
動けない時は本当に動けないことを理解してほしい。
でも、他人のことを理解することは難しいことなので、それを相手に求めるのは酷なことなのだとは思う。
それでも、母がまだわたしの母でいようとしてくれるならば、理解してほしい。
そう思ってやまない一日だった。

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「新世界より(中)」貴志祐介

ようやく中巻を読み終えた。

新世界より」は大学時代から何回も読んでいる本であり、結末は知り尽くしている。
しかし、何度読んでも胸を打つものがある。
ネタバレになってしまうが、瞬が業魔になってしまい、主人公の女の子に「ずっと好きだった」と言うシーンは涙を流してしまった。
業魔になってしまったばかりに処分されねばならない無情さが、悲しく思えて仕方なかった。
本当に、本当に、涙が止まらなかった。
その後の展開も面白く、そして切なく、早く下巻が読みたいと思わせられる本だ。
この後から、下巻を読んでいこうと思っている。

貴志祐介の本はどれも面白くて、何度読んでも飽き足らない。
これからもたくさん本を出してくれることを祈るばかりである。

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障害年金がもらえたらフリーターになろうと思う

タイトルの通りである。
障害年金がもらえるようになったら、もちろんその金額にもよるが、仕事をやめてフリーターになろうと思っているのである。

わたしは統合失調症だ。
医者に通い出してから一年と一ヶ月ほどになる。
寛解の兆しは見えず、外に出る際にはデパスワイパックスをがぶ飲みしないと不安で心臓が潰れそうになる。
街行く他人がみんな殺人鬼に思えて、それがどうしようもなく怖い。

このままの状態で働けるのかと思うと、気分が沈む。
上司も先輩もみんな他人だ。殺人鬼なのだ。
そんな中でデパスワイパックスを飲まずにやっていけるのだろうか。答えは否である。
しかし、これ以上休むことができないことも事実で、12月から会社に復帰しようと思っているが、病気についてあれこれ詮索されたりするのが嫌なのだ。
しかし、絶対にそういう話になるだろう。
そうなると、またストレスが溜まって具合が悪くなるの悪循環に陥るわけである。
これはもうどうしようもないことなのだ。

再来年の春に、両親が離婚する。
離婚したら、わたしは父と共に住もうと思っている。
そうすれば安心してフリーターになれるし、作家修行もできるようになる。
父との生活はストレスフリーで、わたしのメンタルもそう崩れずに済むだろう。 だから、障害年金をもらえれば仕事をやめて、父親の脛を齧る生活を送ろうかなと思っているわけである。

再来年、本当は東京に行く予定だった。
しかし、今は東京に行くよりも作家になりたいという気持ちが強く、とりあえずは愛知で父さんと共に住みながら、文章の添削をしてもらい、作家修行に励む生活を送りたいと思っている。
なんにせよ、四月にならないと障害年金の申請ができない。
障害年金が降りるまでは気合で働くが、障害年金の額によっては即行で会社を辞める気でいる。

世の中正社員じゃないと苦しいよ、と人はいう。
しかし、わたしは統失で、夢追い人なのだ。
正社員で働く道だけが人生ではない。
たとえ三十路を迎えても作家になれなかったとしても、わたしは正社員をやめたことに後悔はしないだろう。
わたしはいずれ、作家になる。
そんな未来だけを信じて、明日も文章修行と読者に励みたいと思っている。

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