嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「猫物語(白)」西尾維新

読み終えた。

今回はアララギくん視点ではなく、羽川さん視点の物語だった。
張られた伏線を綺麗に回収していく技はさすがだと思った。
こんな作家になりたいと強く思った。
わたしがなりたいのはミステリー小説書きだが、ポップなミステリー小説書きになりたいのだ。
西尾維新のような、ポップで明るい物語が書けるように、これからも精進していこうと思っている。

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「猫物語(黒)」西尾維新

読み終えた。

相変わらずポップな文体で、読みやすかった。
この後(白)が控えているのだが、そこでの伏線回収が素晴らしいのだと父から聞いている。
これは読むのが楽しみだ。
プロットを立て、文章を書く作業もあるので、なかなか読書に時間を割けないのだが、これは作家志望の身としては致命的である。
というわけで、わたしは夜のお散歩を終えたらプロット作りに励もうと思う。
時間は有限だ。いくらわたしがニートと言えど、無為に時間を潰すのはあまり良くない気がする。
時間は大切にしないとな。

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「死にたい」という言葉の軽さ

ツイッターで、まだ十代の子が「死にたい」と言っていた。病院に通っているわけでもなく、ただ死にたいとだけ言っていた。
無駄に長生きしたくない、本当はもっと前に死ぬ予定だった、でも今まで生きてしまって困っている。そんなことを言っていた。

それを知ったわたしは、「ファッションメンヘラ乙www」と思った。思ってしまった。
なぜなら、死にたい人間は死ぬために行動を起こしているからである。自殺が完遂されても、未遂だとしても、死ぬために自ら行動を起こしたことに意味がある。

最近の若者はすぐにメンヘラぶりたがるような傾向が見られる気がする。
メンヘラになってもなんの得もないぞ、と言いたいところだが、本人は本気で悩んでたり、自分がファッションメンヘラだという自覚がないまま生きているのかもしれない。

ちなみに、ここでいうファッションメンヘラとは、医者にも通わず病名もつかず、ただただ一人で「死にたい」とか言いながら自ら死のうとはしない人間のことである。

わたしはそんな若者を見る度にため息をつきたくなる。
特に、若い子が「死にたい」だなんて言葉を軽率に口にしているところを見ると、「お前はまだ若いんだから生きろ!!!!!」と思うわけである。
そもそも、十代にして、ファッションメンヘラにして、「死にたい」と思う理由ってなんだ。
死にたい理由はなんなんだ?

一億総メンヘラ時代。いまや「死にたい」という言葉は日常的に使われている。
しかし、過去に自殺未遂を三回したわたしとしては、そう簡単に死にたいという言葉を使ってほしくはない。
だって、死ぬことは恐ろしいことなのだ。
死のうと思っても、途中で本当に怖くなるのだ。
自分の魂が消えようとしているのを感じると、とてつもない恐怖に襲われるのだ。

だから、十代の若者にはもう少し考えてほしい。
「死にたい」という言葉を使う意味を。
自分がファッションメンヘラと化してないかを。
ツイッターで死にたい死にたいとほざいてる奴の大半はファッションメンヘラだとわたしは思っている。

こんなにも軽々しく「死にたい」などと言われるとキレたくなる。
本当は死にたくなんかないくせに。口先だけメンヘラぶって。
ただのかまってちゃんとメンヘラを一緒にしてもらっては困るのだ。

ただの愚痴記事になってしまった。
おさらいをしておくと、
そう簡単に「死にたい」とか言うな。死ぬ勇気もないくせに。ファッションメンヘラは引っ込んでろ。
ということである。
思春期の多感な時期にメンヘラってカワイイ〜!みたいな価値観が世の中に生じて「病みカワイイ」などというジャンルもできてしまった今、ファッションメンヘラの勢いは止まるところをしらない。
ガチモンのメンヘラからしたら「メンヘラってかまってちゃんしかいないのかよ」と陰口を叩かれることが耐えられないのである。

わたしはわたしのためにこのブログを書いている。
でも、コメント乞食をしたことは一度もない。
わたしの言葉が、誰かの共感を呼べればいいな、と思いながらブログを書いている。
ツイッターでも一人壁打ちをしている状態でいることが多く、かまってちゃんタグをやったりすることはない。
「死にたい」という言葉が同情を得たいがために発される言葉だとしたら、わたしはそれを受容できない。
その言葉が、本当に死ぬ前に零された言葉だとしたら、わたしはその人を全力でひきとめる。
「死にたい」だなんて言葉、簡単に口にしてはいけないのだ。
メンヘラに対するいろんな誤解を招くし、なにより周りがやきもきするから。

成人して三年。わたしも、たった半年だけれど、社会を見た。
社会はそう甘くないな、と思った。「ウワ〜なんだよこれ死にてえ〜」と軽率に思ったこともあった。
しかし、統合失調症を発病して慢性的に希死念慮に囚われ、このブログを書いている今この瞬間も「わたしって生きてていいのかな」とか思ったりしているわけだが、死にたいとは口にしない。
本当に自殺の意思が固まるまでは、「死にたい」というワードは封印した。

長くなってしまった。
くどいようだが、死にたいだなんて軽々しく言葉にしてはいけないと思う。
その言葉は、本当に死にたくなったときにだけ発せばいい。
これ以上ごちゃごちゃ書いているとまとまらなくなる気がするので、ここら辺で締めくくろうと思う。

話はずれるが、地道に読者が増えていっているのが嬉しい。
ブログにアクセスしてくれる人もそこそこにいて、自分の書いた文章を読んでもらえる幸せを実感している。
同時に、やっぱり作家になりたいな、とも思う。
自分が書いた文章を人に読んでもらいたいのだ。わたしは、ツイートでもなくインスタでもなく、こうして長文を書いて人に読んでもらうことが好きなのだ。
さらに言うなら、わたしの書いた物語を人に読んでもらいたいのだ。
このブログは、わたしという主人公の物語でもある。
それを読んでいただけることは本当に嬉しいことだ。
これからもぼちぼち更新していこうと思っている。
どんな内容でも、後から読み返せば、「ああこんなこともあったなあ」と過去の自分のを懐古できるはずだから。

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インスタグラムを始めてみた

タイトルの通りである。
とうとうわたしも流行りに乗れたのである。

わたしは基本的に流行りに疎い。
テレビも見なければファッション雑誌を読むわけでもない。
インスタグラムが流行りだしてからも、「へえ〜」くらいにしか思っていなかった。
だが昨晩、眠れずにいるときに、ふと「インスタ始めよう」と思ったのである。

投稿する内容は大体が自撮りである。
この歳にもなって自撮りあげるためのインスタグラム作るのどうなの?
と、思わざるをえないが、メンヘラの本質は自己承認欲求である。
加工をガンガンに施した自撮りをあげて、いいねをたくさん稼ぐのが楽しいのである。
友人知人にアカウントがバレることはない。
このブログだっでバレてないはずだし、ならばインスタもバレるわけないのである。

加工をガンガン施せばわたしだって美女になれる。
加工をしているうちに、実はわたしってカワイイのでは? という錯覚に陥る。
そして、もっと可愛くなりたいと思う。
メイクの研究をして、少しでも可愛くなれるようになりたいのである。
世の中カワイイことで損をすることはそんなにないと思っている。
なので、わたしはまだまだ可愛くなりたいのである。

カワイイ子には本当に憧れる。
わたしは鼻がでかいという欠陥を抱えているので、どうしようもない。
まあ、鼻はビューティープラスの鼻を細くする機能で誤魔化しているのだが、ここまで加工をガンガン重ねるともはや別人である。

でも、ネット上だけでも美少女でいたい(少女と言える歳ではないが)。
とにかくカワイイわたしでありたいのである。

最近は可愛くなりたいという一心で、自分に投資をしている。
今月も美容院に行こうと思っているし、今日は薬局でアイブロウとダブルラインを引くためのペンシルを買ってきた。
憧れのアイドルになれるように、化粧を研究するのだ。
全盛期の浜崎あゆみくらいかわいくなりたい。
鼻が残念なのはどうしようもないので、ほかのパーツで勝負である。

そんなわけで、わたしのインスタライフは楽しいものになりそうだ。
すでにフォロワーはできているし、嬉しいことである。
このブログと同じように、インスタグラムもどんどん更新していきたいと思っている。
顔がこのブログの読者諸氏にバレてしまうのはアレなのでURLは載せないが、どこかで見かけたら是非フォローしてほしい。

結局わたしも自己承認欲求の塊である。
誰かに認められたり褒められると嬉しい。
こういうところがメンヘラなんだよな〜と思わざるをえない。

でも、せっかく作ったのだ。
承認欲求モンスターになっても構わない。
いい歳こいた大人だが、わたしはインスタに顔を晒すぞ。
気合入れて化粧の研究に励もうと思っている。

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父親の力

父親の力は甚大である。

わたしの父親は、高校で教師をしている。
担当教科は国語。旧帝大卒で、そのまま勉強することなく教員採用試験を受け、しれっと合格した。
高校から大学へ進学する際にも、旧帝大一つしか受けなかったというのだから驚きだ。
そんなわたしの父親は、昔から本が大好きだった。
父親の読書量はわたしの読書量を遥かに凌駕し、今までの読書経験からわたしに的確なアドバイスをくれる。

わたしは今、書いたものを一度父親に見せ、悪いところを一緒に直すという作業をやっているのだが、父親が手を加えるとわたしの作品が生きるようになる。
ポップな文章はポップな感じに、シリアスな文章はシリアスになる。
わたしが知らない言葉もたくさん知っている。
あと一年で父親に追いつかねばならないと思うと焦りが募る。
焦ることはよくないが、あまりにも父親との差が大きすぎるのだ。
これでは父親がゴーストライターみたいな感じになってしまう。
自力で父親レベルまで達さねばならないのである。

そう思うと、もっと勉強が必要だな、と思う。
特に必要なのは、人間と関わることだとわたしは考えている。
全世界の人間が殺人鬼に見えて怖い。
怖いのだが、人と関わることなしに文章を書けるかと言われたらきっと書けないのである。
いろんな人の話を聞くことで、それをネタにして小説を書く。
わたしに必要なのは、それではないかと思うのである。

しかし、これは寛解しない限り難しい。
まだまだ幻聴は聞こえるし、人間は怖い。
けれど、いつか乗り越えなければならない。
恐怖に打ち勝って、人と接する仕事をしなければならない。
作家になると決めて、舌ピアスまで開けたので、わたしは今後一生普通の会社に就くことはないのだが、アルバイトなどで人と関わりを持つことが大切なのではないかと思う。
世の中にはこんな人もいるのか! という新しい発見ができるはずだ。

まだまだ修業中の身である。
父親に校閲をされなければ、わたしの文章はまとまりがなくとっ散らかった状態である。
あと一年だ。あと一年で、父親に追いついてみせる。
そのためにも、たくさん書いて、本も読みながら、今後も修業を続けていこうと思っている。

自分の考えをだらだらと垂れ流すだけのブログだが、いつも星を押してくれている方々には本当に感謝している。
誰かが読んでくれてるというのは嬉しいことだ。
読者もそこそこにいて、嬉しい限りだ。
時々更新に間が空くが、できる限りいろんなことを書いていくつもりだ。
わたしの書くブログの記事はつまらないかもしれないが、それでも書き続けることに意味があると思っている。
あとで読み返したときに、ああこんなこともあったなあ、と感慨深い気分に浸りたいのである。
というわけで(?)、このブログの読者諸氏や星を押してくださる方々には本当に感謝している。
ついでに下の「統合失調症」のボタンも押してくれると、励みになります。

もっと「読みたい!」と人に思わせられるようなブログが書きたいのだが、いかんせん心情を吐露するだけのブログなので、これがなかなか難しい。
けれど、毎日アクセス数がそこそこにあるので、それも励みになっている。
これからもぼちぼち書いていくので、よろしければ今後もお付き合いくださると嬉しいです。
それでは、今日はここら辺で筆を置くことにする。
また明日、更新できたらいいな。

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名前を変えました

「おもち」から「まーちゃん」に変わりました。

時々こうして名前を変えたくなる。
それは新しい自分になりたいからなのか、そうでないのかはわからない。
言うなればただの気まぐれである。
ネット社会において名前の価値はそんなにない。

今日はおばあちゃんの家に行ってきた。
胃癌の手術をした後だったので、元気かどうか心配してたが、思ったより元気そうで安心した。
それと同時に、早く作家にならないとな、と思った。
人間いずれは死にゆく生き物。
おばあちゃんが生きているうちに、なんとしてでも作家になりたい。
初のサイン本をプレゼントしてあげたい。

改めて強く自分の夢を自覚した。
わたしに足らないところはたくさんある。
とにかく読んで書いての繰り返しをして、今年一年でどうにか一人で物語が作れるようになるのが目標だ。
いつまでもぼやぼやしてはいられない。

最近は筆もよく乗るし、いい傾向だと思う。
相変わらず幻聴ちゃんとはお友達状態だが、害のある幻聴は減ってきているのでまあいいだろう。
これからも修業に励んでいきたいと思っている。

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生きてます

更新に間が空いてしまいましたが生きてます。
死んだように毎日毎日生きています。

最近は何かをしたいという意欲が強く、ずっと文章を書いている。
1日でもはやく作家になりたいという思いで生きている。
今はまだ父の校閲に頼らなければまともな文章が書けないのだが、この一年でまともな文章を書けるようにいろいろと頑張るつもりだ。
ニートでもいいよ、とのことなので、親の脛をかじりながら生きていこうと思う。

話は変わるが、昨日(一昨日)の頭脳王はすごかった。
あんな天才たちがこの世にいるのが信じられなかった。
ああいう人々には、普通の人間がどう見えているのだろう。
バカでバカで仕方ないように見えてるんだろうか。
わたしも賢くなりたかった、と父親に零したら、「賢いよ、ただ勉強しないだけで」と言われたので、ずっとサボっていた英語の勉強をまた頑張ろうと思う。
病気の中でも、できることは何かしらあるはすだ。
未来の作家になれている自分のヴィジョンを描きながら、これからも生きていこうと思っている。

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