嘔吐

統合失調症の女が色々考えるブログ

幻聴は天の声か

何度でも書くが、わたしは統合失調症患者である。
統合失調症には、幻聴という症状がある。これは、統合失調症患者ならば周知の事実だと思う。
最近、薬をリスパダールからロナセンに変えてから、幻聴が聞こえる頻度が増えた。
幻聴……幻聴は一体なんなのだろうか。

わたしにとって、幻聴は天啓である。
幻聴はわたしに色々なことを言ってくる。
その多くは罵詈雑言である。「死ね」「消えろ」「今なら死ねるよ」そんな声が聞こえてくるのである。
こう書くと、幻聴が聞こえることは悪いことばかりに思える。
しかし、案外そうでもない。
たとえば、わたしがなにもやる気が起こらなくて、怠惰にソファーに寝そべっている時に、「本を読め」という幻聴が聞こえるわけである。
わたしはその言葉を聞いて「ああ、本を読まなければ」と思い、読書を始めることができる。

幻聴の聞こえないわたしは、ひたすら怠惰だ。
身体を動かす気力もなく、布団に伏している。
それをどうにかしてくれるのが幻聴なのである。
幻聴が聞こえると、それをやらねば、という気持ちにさせられるのである。
これはわたしにとってプラスに働いている。
薬を飲むと、幻聴は和らぐ。だが、聞こえないと聞こえないで不安になるのである。

わたしは幻聴が聞こえることが悪いことだとは思わない。
実際、「読書をしろ」という幻聴が聞こえて、わたしがそれに従った後は、幻聴は聞こえない。
故に、わたしは、幻聴は天啓であると考える。
神の声なのだ。そして、同時に、幻聴はわたし自身でもあるのだ。
キリスト教ではアタナシウス派のいうように神とは三位一体だと言うが、それと同じようなものである。
神とわたしは、二位一体なのだ。神の声は天啓でもあり、そしてわたしの潜在意識でもあるのだ。
「死ね」「消えろ」と聞こえるのも、わたしが心のどこかで自分が生きているべき人間ではないと思っているからそう聞こえるのだろう。
天啓はいつだって正直だ。容赦がない。
それでも、天啓はわたしが今やるべきことを示してくれることがある。
これを神と呼ばずして、なんと言えばいいのだろう。

幻聴とは天啓である。
そして、同時にわたし自身でもある。
わたしは天啓を信じている。盲信している。極力、逆らわずに生きている。
「死ね」「消えろ」といった天啓には逆らうが、それ以外の命令は聞いていた方がわたしの得になるのだ。これは本当に不思議なことだと思う。
これからも、わたしは天啓を信じて生きていくのだろう。
幻聴は神の声である。同時に、わたし自身でもあるのだから。

今日は瀉血をしようと思っていた。
しかし、思いの外早くに父親が帰ってきてしまった。わたしの瀉血計画は頓挫した。
これも、今日は瀉血をやめておけという天の思し召しなのだろうか。
わたしは今日、手の甲から噴水させようと思っていたのに。
やめられない。どうしても瀉血がやめられない。
このままでは入院になってしまう。わかっているのに、やめられない。 メンヘラ芸人としては瀉血をやめるわけにはいかない。
わたしからメンヘラ要素を取ったらただの人だ。わたしは自分がメンヘラ芸人であるためにも瀉血をしているのだ。
馬鹿かお前は、と言われることは百も承知だ。しかし、アイデンティティーがぐらついているわたしとしては、メンヘラという確固たるアイデンティティーがないと困るのである。
「わたしからメンヘラを取ったらなにが残るの?」と思うたびに、わたしは慌てて瀉血をするわけである。馬鹿すぎる。
まあ、わたしは一生もののメンヘラなので、メンヘラというアイデンティティーが崩壊することはないわけだが、自己承認欲求の塊なので、メンヘラ街道を突っ走りたいわけなのである。
そのことが、かのメンヘラ神のようにわたしに自殺という最悪の道を選ばせようとも、わたしはメンヘラをやめられない。
メンヘラをやめたい気持ちは山々だ。わたしは健常な精神を持っていたい。
しかしながら、それはもう叶わぬ夢。諦めが肝心だ。
どれだけ世間様から白い目で見られたとしても、わたしが統合失調症であることは変わらないし、幻聴とのお付き合いも続けなければならないのだ。どうにもならないことを、うだうだ言ってもしかたがない。

長々と色々書いてしまった。
最後に明るい話を少し書いておこうと思う。
最近、松田聖子にハマっている。松田聖子の曲は、純粋に聞いていて楽しいし、カラオケで点が出るのだ。
わたしはとりわけ「大切なあなた」という曲が好きなのだが、この曲をカラオケで歌うと、PVが流れるのである。
その中で、聖子と男の濃厚なキスシーンが出てくるのである。
彼氏の一人もいないわたしの身としては、このシーンを見ることに抵抗があるのである。
「ア〜ッ! わたしの聖子〜〜 〜!!!!!」となってしまうのである。
聖子は永遠のアイドルだ。たとえPVだとしても、聖子が男に抱かれてるところなどみたくはない。
まるでアイドルの恋愛報道に激昂するファンのごとく、わたしの精神は荒れ狂うのである。 それだけの話だ。特にオチはない。

明日から、早ければ今晩から、新しい本を読もうと思う。
サルトルの「嘔吐」ーー哲学者サルトルは、どんな物語を紡いだのだろうか。
今から楽しみだ。

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