嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「死にたい」という言葉の軽さ

ツイッターで、まだ十代の子が「死にたい」と言っていた。病院に通っているわけでもなく、ただ死にたいとだけ言っていた。
無駄に長生きしたくない、本当はもっと前に死ぬ予定だった、でも今まで生きてしまって困っている。そんなことを言っていた。

それを知ったわたしは、「ファッションメンヘラ乙www」と思った。思ってしまった。
なぜなら、死にたい人間は死ぬために行動を起こしているからである。自殺が完遂されても、未遂だとしても、死ぬために自ら行動を起こしたことに意味がある。

最近の若者はすぐにメンヘラぶりたがるような傾向が見られる気がする。
メンヘラになってもなんの得もないぞ、と言いたいところだが、本人は本気で悩んでたり、自分がファッションメンヘラだという自覚がないまま生きているのかもしれない。

ちなみに、ここでいうファッションメンヘラとは、医者にも通わず病名もつかず、ただただ一人で「死にたい」とか言いながら自ら死のうとはしない人間のことである。

わたしはそんな若者を見る度にため息をつきたくなる。
特に、若い子が「死にたい」だなんて言葉を軽率に口にしているところを見ると、「お前はまだ若いんだから生きろ!!!!!」と思うわけである。
そもそも、十代にして、ファッションメンヘラにして、「死にたい」と思う理由ってなんだ。
死にたい理由はなんなんだ?

一億総メンヘラ時代。いまや「死にたい」という言葉は日常的に使われている。
しかし、過去に自殺未遂を三回したわたしとしては、そう簡単に死にたいという言葉を使ってほしくはない。
だって、死ぬことは恐ろしいことなのだ。
死のうと思っても、途中で本当に怖くなるのだ。
自分の魂が消えようとしているのを感じると、とてつもない恐怖に襲われるのだ。

だから、十代の若者にはもう少し考えてほしい。
「死にたい」という言葉を使う意味を。
自分がファッションメンヘラと化してないかを。
ツイッターで死にたい死にたいとほざいてる奴の大半はファッションメンヘラだとわたしは思っている。

こんなにも軽々しく「死にたい」などと言われるとキレたくなる。
本当は死にたくなんかないくせに。口先だけメンヘラぶって。
ただのかまってちゃんとメンヘラを一緒にしてもらっては困るのだ。

ただの愚痴記事になってしまった。
おさらいをしておくと、
そう簡単に「死にたい」とか言うな。死ぬ勇気もないくせに。ファッションメンヘラは引っ込んでろ。
ということである。
思春期の多感な時期にメンヘラってカワイイ〜!みたいな価値観が世の中に生じて「病みカワイイ」などというジャンルもできてしまった今、ファッションメンヘラの勢いは止まるところをしらない。
ガチモンのメンヘラからしたら「メンヘラってかまってちゃんしかいないのかよ」と陰口を叩かれることが耐えられないのである。

わたしはわたしのためにこのブログを書いている。
でも、コメント乞食をしたことは一度もない。
わたしの言葉が、誰かの共感を呼べればいいな、と思いながらブログを書いている。
ツイッターでも一人壁打ちをしている状態でいることが多く、かまってちゃんタグをやったりすることはない。
「死にたい」という言葉が同情を得たいがために発される言葉だとしたら、わたしはそれを受容できない。
その言葉が、本当に死ぬ前に零された言葉だとしたら、わたしはその人を全力でひきとめる。
「死にたい」だなんて言葉、簡単に口にしてはいけないのだ。
メンヘラに対するいろんな誤解を招くし、なにより周りがやきもきするから。

成人して三年。わたしも、たった半年だけれど、社会を見た。
社会はそう甘くないな、と思った。「ウワ〜なんだよこれ死にてえ〜」と軽率に思ったこともあった。
しかし、統合失調症を発病して慢性的に希死念慮に囚われ、このブログを書いている今この瞬間も「わたしって生きてていいのかな」とか思ったりしているわけだが、死にたいとは口にしない。
本当に自殺の意思が固まるまでは、「死にたい」というワードは封印した。

長くなってしまった。
くどいようだが、死にたいだなんて軽々しく言葉にしてはいけないと思う。
その言葉は、本当に死にたくなったときにだけ発せばいい。
これ以上ごちゃごちゃ書いているとまとまらなくなる気がするので、ここら辺で締めくくろうと思う。

話はずれるが、地道に読者が増えていっているのが嬉しい。
ブログにアクセスしてくれる人もそこそこにいて、自分の書いた文章を読んでもらえる幸せを実感している。
同時に、やっぱり作家になりたいな、とも思う。
自分が書いた文章を人に読んでもらいたいのだ。わたしは、ツイートでもなくインスタでもなく、こうして長文を書いて人に読んでもらうことが好きなのだ。
さらに言うなら、わたしの書いた物語を人に読んでもらいたいのだ。
このブログは、わたしという主人公の物語でもある。
それを読んでいただけることは本当に嬉しいことだ。
これからもぼちぼち更新していこうと思っている。
どんな内容でも、後から読み返せば、「ああこんなこともあったなあ」と過去の自分のを懐古できるはずだから。

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