嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

統合失調症になってから思うこと

統合失調症になって一年半と少しになった。
一年半前よりは格段に病状はよくなったものの、薬の量は減らない。

統合失調症患者は障害者だ。
だから障害年金がもらえる。
だから障害者手帳がもらえる。
わたしは精神障害者なんだ。
もう健常者には戻れないんだ。そう思うと、少し悲しい気分になる。

でも、統合失調症になって悪いことだけだったかと聞かれれば、そうではない。
統合失調症になったからこそ、作家になりたいという夢ができたし、そのために修業する時間が確保できた。
現状、アルバイトすらできない状態なので、傷病手当でカツカツの中生きているが、毎週カラオケに行くための金くらいならある。
そもそも外にあんまりでないので、お金を使うことも少ない。

悪いことばかりじゃなかった。
いいこともあったんだ。
そう思わないとやってられない。
これは天のお導きなんだと信じて生きるしかない。
そういう運命にあったんだと思いながら生きるしかない。

希死念慮は消えない。
幻聴もまだまだ聞こえる。
わたしなんて死んだ方がいいんだと囁く声たち。
時々、ふと死にたくなる。
生きるのって苦痛だな、と感じることがある。
自傷行為もやめられない。
瀉血してはぐったりして、の繰り返しだ。

わたしは自ら捨てた。
寛解を目指し、普通の企業で働く道を放棄した。
なれるかどうかもわからない作家になりたいという夢だけを追って生きることに専念することに決めた。
願掛けとしてピアスも開けた。

母が言う。
何もしてなくても毎月お金が入ってきてうらやましい、と。
わたしとしては、なりたくもなかった統合失調症になって、職を失った身なので、そんなことを言われるのには業腹なのだが、周りの人間はみんなそう思っているのかと思うと生きていることに申し訳なくなる。

わたしが死んだら、いいのだろうか。
わたしが死んだら、わたしのこの苦しみを理解してくれるのだろうか。
死にたいという思いを抱えながら、つらくも生きていたことがわかってもらえるのだろうか。
まだ死にたくないので生きるが、この病気はいまいち理解を得られないなあと思うばかりである。

どう考えてみても、こんな病気にはなりたくなかった。
健常者でいられるなら、そうありたかった。
でも、今となってはそれも叶わぬ身である。
わたしは、わたしのできることを着々とやっていくしかないのだ。

今できること。そう、小説をひたすら書くことである。
いつか花開くと信じてやっていくしかない。
それこそが今の生きる意味であって、その目標が潰えたら、わたしはきっと死ぬのだろう。
死にたくなんかないけれど。
きっと死ぬのだろう。

繰り返すが、統合失調症になって悪いことばかりじゃなかった。
けれど、悪いことの方が圧倒的に多い。
そう思うとつらいが、そんなことを考えていても仕方ないな、と思う。
わたしにはわたしができることをするしかないのだ。

同じ統合失調症の患者さんも、きっとこんな風に人生を悲観したくなる日があるんだろうなあと思う。
健常者でいられたら、と思うことがあるんだと思う。
けれど、そんなことを考えていても仕方ないので、なんでもいいから、生きる意味を見出して、その方々が生きることに前向きになれればな、と思う。
わたしのように。

統合失調症は苦しい病気だ。そのことに違いはない。
けれど、それでもやれることがあるはずだ。
そのやれることに一生懸命取り組むことが、正しい在り方なんだと思う。
だから、わたしも頑張ろう。
夢をひたすら追いかけて、いつか叶えて見せよう。
それだけが生きる道なのだから。

長くなってしまった。
まあ、こんなことを考えたくなる日もあってもいいだろう。
明日も、文章を書こう。
いっぱい書いて、花を咲かせてみせよう。
こんなわたしのことを支えてくれる父親のためにも。
わたしは生きていなくちゃいけないのだ。

明日はどうやら雨らしい。
雨というのは気が塞ぐが、雨の後には晴れが来る。
人生も同じだ。
雨が来て、晴れが来る。

その晴れの状態でずっといられたら、寛解なんだと思う。
いつかそんな日がくるまで。
わたしは、生きていく。

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