タイトルの通りである。
何事にも期待をしないでおくほうが生きやすいのである。
たとえばの話。
わたしは母に病気を理解してほしかった。
病気だからできないことがたくさんあるんだよということを知ってほしかった。
けれど、母は理解してくれなかった。
わたしはそれに痛く傷ついた。
実の親に理解が得られないことが苦痛で仕方なかった。
たとえばの話。
この前障害年金の申請に行ってきた。
二級で下りなかったらどうしよう。
そればかり考えてしまって、不安がどっと押し寄せた。
今、わたしは働けない状態にあるので、もし三級でしかもらえなかったらどうすればいいのだろう。
そう考えると恐ろしくてならなかった。
たとえばの話。
わたしの病気はいつか本当に寛解するのだろうか。
このままこの苦痛がずっと続いていくのではないか。
幻聴は止まず、動けもしない。
瀉血とODを繰り返すばかりの毎日。
こんな人生が続くくらいなら、さっさと天国へ行きたい。
そう思ってしまう。
たとえばの話。
わたしが信頼している人に裏切られたらどうしよう。
これだけ信じていたのに、それがいつか手のひら返されたらどうしよう。
そう思うと人が怖くてならなかった。
だから、わたしは期待するのをやめた。
何事にも、期待するのをやめた。
するとどうだろう。
すっと心が軽くなったのだ。
母が病気を理解してくれたらラッキー。
障害年金が二級で下りたらラッキー。
寛解したらラッキー。
裏切られなかったらラッキー。
そう、すべてのことがラッキーで済まされるのだ。
これは素晴らしいことである。
へたにうじうじ悩むこともなく、なにか良いことがあればラッキー。
そう思うことによって、精神の安定をはかれるのではないかと思ったのである。
何事もラッキー。
我ながら前向きでいいと思う。
これからは、何事もラッキーだということを念頭において生きていこうと思う。
だがしかし、作家になるという夢だけはラッキーでは済まさない。
わたしはいつか作家になる。
その意思だけは、強固に抱いておかねばなと思っている。
毎日がラッキーで溢れますように。
そう思うと、明日が楽しみになってきた。
今夜はよく眠れそうだ。
悟りを開いたメンヘラはある意味強いのである。