嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

悲しくて仕方のない夜

悲しくてつらくて、一人泣いてしまう夜がある。

今も涙を流しながらこの文章を書いている。
どうしてこんなにも不安で、こんなにも悲しいのかわからない。
ただただ生きることが苦しくて、楽しいことももちろんあるけれど、今現在の気持ちとしては「死にたい」である。

なんの役にも立たないわたし。
掃除をすることもできなければ、食事を取ることもしないわたし。
家族からも疎まれてるんじゃないかと怯える毎日。
父さんだけはわたしの味方でいてほしい、でも裏切られたら?
裏切られたとき、わたしはどうする?
手首を切るか? 瀉血をするか? それともビルから飛び降りるか?
死ぬのか? 死ぬだけの勇気があるのか?

わたしは意気地なしだ。
きっとどんなにつらくても死ぬのが怖くて泣き言を言うだけだ。
いや、もしかしたら死ぬのかもしれない。それも、とてもばかばかしい理由で。
わたしの人生はお先真っ暗だ。
生きようと思えるだけの夢はある。
ただ、それが実現するまで生き延びられるかが問題なのだ。

悲しい。悲しい。悲しい。
なぜこんなにも悲しいのか本当にわからない。
いろんな感情がごちゃ混ぜになって、言葉に言い表せない。
時折こんな夜がある。
生きていていいのだろうか。死ぬべき人間なのではないか。
だれかに不快感や面倒を感じさせながらしか生きられないわたしはいなくなった方が、周りは楽になるんじゃないだろうか。
もちろん、こんなことを、たとえば父親に言えば、そんなことない、生きているだけで十分だ、と言ってくれるんだと思う。
でも、今は、その優しさすらつらく感じる。
わたしのために、父親は言いたいことを言わずにいる。
それがわかっているからこそ、罪悪感が拭えない。

悲しい。悲しい。悲しい。
健常者でないことが悲しい。障害者であることが悲しい。
健常者だったら、今頃どんな生活をしていたのだろう。
考えるだけで泣けてくる。
わたしが健常者だったら、周囲にこれだけ迷惑をかけることもなかっただろうに。

死ね、死ね、死んでしまえ。
そんな声が聞こえる。繰り返し、繰り返し、何度も、何度も。

生きるということはつらいことだ。
でも、いつかはこの人生は終わる。
それがどんな終わり方になるのかはわからない。
夢が破れたことに絶望して自ら死を選ぶのかもしれない。
衝動的に電車に飛び込んで死ぬのかもしれない。
もしかしたら、なんだかんだで生き続けて、こんな不安定な夜もあったなと笑い飛ばせる日が来るかもしれない。
未来のことは誰にもわからない。

息をしているだけで罪悪感に苛まれる。
だから、頑張らなければならない。
少しでも周囲の人間の邪魔にならないように。
定期的にくるこの希死念慮の発作は、寛解すればこなくなるのだろうか。
わからない。
けれど、わたしは今できることをやるしかない。

とりあえず、瀉血をしたら寝ようと思う。
こんな夜に、結局自傷行為をすることでしか感情を抑えられないあたりがメンヘラここに極めりといった具合だと我ながら思う。

いい夢が見られるといいな。

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