嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

「ミステリークロック」貴志祐介

読破した。

今回の「ミステリークロック」は、わたしの敬愛している貴志祐介がやっとこさ出してくれた新刊である。
それはもう本当に嬉しくて嬉しくて、思わず涙してしまったほどであった。
内容は、榎本シリーズで、四篇の短編集から成る物語である。
どの物語も読み応えは抜群。
自信を持っておもしろいと言える本だった。

さて、次は何を読もうか。
英語の勉強もしながら読書したり書く作業をしたりで、なかなか読書の時間を取るのが難しいのである。
けれど、読みたい本は無限にある。
今後はとりあえず「新世界より」の続きを読もうと思っている。

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薬物依存

母がワイパックス依存になってしまった。
どれもこれも、後先考えずに薬を渡してしまったわたしのせいである。

それは一ヶ月ほど前の話である。
「最近よく眠れない、睡眠薬の余りはないか」と母に聞かれたのである。
睡眠薬がないとわたしは眠れないので、睡眠薬の余りはないとわたしは答えた。
しかし、そこでデパスワイパックスには眠気を誘う効果があったなとふと思いついてしまったのである。
デパスワイパックスなら余りあるよ、と言った結果、じゃあその薬をくれと言われて、その時のわたしは母が後に薬物依存になることなどないだろうと思い、睡眠薬として使ってくれることを期待してデパスワイパックスを渡したわけである。

この時のわたしの考えは間違いだった。
そもそも、デパスワイパックスも強い薬である。用途も、抗不安作用である。
今まで精神科でもらうような薬を飲んだことのない人間にあげるべきものではなかったのである。
デパスワイパックスも強い薬だ。
抗不安薬としてはかなり強力な薬だ。
そんな薬を、それまで精神科でもらうような薬を飲んだことのない母に渡してしまった。

最初のうちはよかった。
デパス、もしくはワイパックスを寝る前に一錠飲み、寝るだけの生活を続けていたようだ。
しかし、そのうち、日中も飲むようになった。
そして、デパスワイパックスがなければ日常生活に支障を来すと本人が言うまでになってしまったのである。

ワイパックスを飲んだ母の様子は明らかにおかしかった。
物事の正常な判断ができず、足取りも覚束ない。
明らかに薬に体が順応できていない。
だからわたしは、これ以上薬は渡せない、薬が欲しけりゃ精神科へ行け、と言ってみたのである。
しかし母は、自分が精神科に行くことを頑なに拒む。
わたしは、母にはデパスワイパックスは強すぎると思うのだ。
抗不安薬がほしいのなら、まずはリーゼから始めるべきだし、眠れないのならマイスリーでももらってこればいい。
それなのに、何度わたしが言っても母は精神科に行かないのである。

今日の母の様子もおかしかった。
聞くと、ワイパックスを飲んでいるとのことだった。
だからわたしは、もう薬はあげられないから、と母に言った。
母は何も言わなかった。しかし、机に置いていたデパスワイパックスを全てかっぱらっていってしまった。

わたしは、母がそうなってしまったことに責任を感じずにはいられない。
あの時、睡眠薬がわりにデパスワイパックスを渡さなければ、こんなことにはならなかった。
全てわたしのミスだ。健常者に強力な薬を与えてはいけなかったのだ。

母はこれからもストックがある限り薬を飲み続けるだろう。
もしストックがなくなったら?
母はどうするのだろうか。
もしかして、わたしの薬を盗むのではないか。
そんな不安が押し寄せる。
そこでわたしもまたデパスワイパックスを飲むわけである。
他の精神薬とODで薬に慣れきったわたしはデパスワイパックス両方飲んでも不安が落ち着くだけで終わるのだが、母はそうではない。
わたしはとんでもないことをしてしまったのではないかと思うのだ。
わたしは、やってはいけないことをしてしまったと思うのだ。

薬物依存は恐ろしい。
わたしも、外に出るときはデパスワイパックスをがぶ飲みしていくので人のことを言えた義理ではないのだが、あくまで健常者である母がデパスワイパックスを常用しているのは危険なことだと思うのだ。
現に母はすでにワイパックス依存に陥っている。

全部わたしの責任だ。
わたしはとんでもないことをしてしまったのだ。
もう薬はあげられないから、薬が欲しけりゃ自分で医者に行けとは言ってみたものの、母がそれに従うとは到底思えない。
薬が盗まれるかもしれないという新たな不安。
また寛解への道が一歩遠のいた気がする。

今週は金曜が祝日で医者に行かなかったのだが、来週医者に行ったら、母についても相談してみようと思っている。
軽率に母に薬を渡してしまったこと。
そして、母がワイパックス依存になってしまったこと。
洗いざらい、医者に話すつもりである。

これからは、精神薬素人に薬をあげるのは絶対によそうと思った一件だった。
やっぱり、自分で精神科に行き、自分に合った薬を飲むべきだと思わされた一件だった。
もう二度と同じ過ちをしないように、ここにしたためておく。
そしてわたしも、薬物依存になっているので、それらを少しずつ改善していかねばならないと思わされた。

とりあえずは、今後の母の様子をよく見ておこうと思っている。
今後万が一わたしの薬を母が飲んでるところを見つけたら、父さんから一言母に言ってもらおうと思っている。

すべてはわたしが軽率だった、という結論に帰結する。
今後は薬の扱いには気をつけていきたいと思っている。

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病み垢をやめたら元気になった

タイトルの通りである。
病み垢をやめたら元気になったのである。

やっぱり、「死にたい」は伝染する言葉だと思う。
誰かがそう言っているのを見るとこっちも気分が塞いでくるし、うじうじしたツイートを見るとこっちもうじうじしてしまうのである。
それに、わたしには叶えたい夢がある。その夢のために努力する時間を病み垢などという非生産的極まりないものに費やすのは馬鹿らしいと思ったのである。
「死にたい」とツイートすれば死ねるのか? 否、死ねないのである。
結局病み垢界隈にいる人間はよしよししてほしいだけの構ってちゃんだらけということがよくわかったので、もうこれからはそう言った非生産的行為に時間を使うのはやめようと思ったのである。

病み垢をやっていていいことなんかほとんどなかった。
ブロックされた後に悪口を書かれていたり、変な人に突っかかられるしで大変だった。
わたしは思ったことを自由にツイートしてるだけなのに、誰かを不快にさせ、またこちらも不快にさせられる。そんな不愉快な気分をしてまで病み垢を作っている必要はないのだ。
もちろん、病み垢をやっていていいこともあった。気の合う人とお話しできたり、統合失調症の人の生の体験談が聞けるのは大きかった。
しかし、それでも、もう病み垢などというものを作る気は毛頭ない。
わたしは元気に生きていくのだ。作家になりたいんだ。そのためには本をたくさん読んでたくさん文章を書くしかないのだ。
やることがいっぱいあるのだ。やらねばならないことがたくさんあるのだ。
そして何より、そうしていることが楽しいのだ。

楽しいと思えることをもっと長い時間できるようになるためにも、病み垢を消して本当に良かったと思う。
これで自由だ! という気分である。
わたしは統合失調症だから、時折「死にてえ〜〜〜!」の発作がくることも確かである。
しかし、それをツイートしたところでどうにもならない。
ならば、もっと明るく楽しいツイッターライフを送るのが精神面でもいいのではないだろうか。
夢を追い続ける人間として、そのための作業のことや勉強の記録をつけていけばいいのではないだろうか。
「死にたい」だの「死ね」などとツイートするアカウントは最早地雷である。
病み垢をやめてから、いかに病み垢が地雷原かを思い知った。

今は明るく楽しいツイッターライフが送れているので、自分としては満足である。
それに、最近幻聴もあまり聞こえなくなってきた。
これは父さんがドラクエをやるために夜中まで一緒にいてくれることでわたしの心が癒されてるからなのだと思う。
病み垢をやめてから、人生が明るいものへと変わったような気がする。

全メンヘラ共に告ぐ。
病み垢をやっているならば、今すぐ消せ。
そして、趣味や特技、夢について語るアカウントを作れ。
そうすれば、だいぶ気持ちが楽になるから。
「死にたい」の発作も減ってくるはずだから。

久々にここまで長い記事を書いたような気がする。
ブログも、できれば毎日更新したいが、更新するためのネタがない。
でも、やはりその一日わたしがどう過ごしたかは記録しておくべきだと思った。
明日も、といっても、もう日付はとうに過ぎているのだけれど、また更新できればいいなと思っている。

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名前を変えました

「おもち」に名前が変わりました。
といっても、書く内容に変わりはないので、これからもよろしくお願いします。

さて、この度ツイッターでの病み垢をやめた。
毎日「死にたい、死にたい」ばかりのタイムラインを眺めることが嫌になったからだ。
死にたい、死にたい、と言ったところでどうせ死なないし、いざ自分が死ぬかもしれない時になると必ず生への渇望が生まれてきてしまう。
なぜわたしが死なないといけないのか。
なぜわたしは自殺を試みたのか。
わたしにもわからない。
ただ、今は作家になりたくて自分なりに夢を追いかけている状態なので、今死ぬわけにはいかないのである。

今回は、新しく読書アカウント兼日常アカウントを作ってみた。
ツイートするのは主に本関係。たまに日常ツイートをする、そんなアカウント。
これからはツイッターにマイナスなことを書くのははやめよう。
どんなにわたしが統合失調症であることに絶望を感じていたとしても、治らないものは治らないのである。 だったら、自分の夢だけを見据えて真っ直ぐにそれに突き進むのが一番いいことなのではないかとわたしは思ったわけなのである。
うむ。我ながら賢い選択だ。

これからも、もっといっぱい本を読んでいきたいし、書く練習もたくさんしたいと思っている。
目指すは七年以内にデビュー。七年経っても作家になれなかったら人生を諦める。
本を読むのが大好きだし、本を読んでないと「アレッ? これでいいのかな?」と思ってしまうくらいには本が好きなのである。
最近は英語の勉強と掛け持ちしているので、読むスピードが遅くなってるのだが、これからも本をたくさん読み続けたい。

しかしながら、もう本棚に本が入らないのである。
別の本棚の購入を絶賛検討中なのである。

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「新世界より(上)」貴志祐介

最近英語の勉強をしていて読書が疎かになってしまったが、今日なんとか一冊読み終わった。
いつも通り、簡単に感想を書いておく。

この作品は、わたしの大好きな作品で、読むのは多分四度目くらいになる。
大学時代からこの本が大好きで、故に貴志祐介のファンになったわたしだったが、今読んでみてもとても面白い。文句なしに面白い。
ハラハラさせられる展開、この後どうなるんだろうという期待。
わたしもいずれはこんな物語が書ければいいなと思った。

最近、国外逃亡を狙っている。
もし作家になれたら、イギリスあたりにでも逃亡してやろうかと思っている。
そのためにも英語の勉強をして、本もたくさん読んで、来るべき未来へ備えようと思っている。

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「硝子のハンマー」貴志祐介

今まで読んできた本を読み直そう企画第三弾。
簡単に感想を書いておく。

今回の「硝子のハンマー」は「鍵のかかった部屋」や「狐火の家」とは違い、長編である。
読み応えは抜群。すらすらと頭の中に文章が入ってきた。
また、トリックも「そんなんありかよ!」と思うものだが、その意外性というか予測できなさがおもしろい。
これだからミステリーはやめられないのだ。
また、榎本のキャラクターがしっかりしており、榎本というキャラクターに好感が持てた。
好感を持てるキャラクターが描けることはすごいことだと思う。
わたしも頑張らねば。そう思わされた一冊だった。

さて、次は「新世界より」を読もうと思っている。
上中下とあるので読むのに時間もかかるし気力も必要だが、おもしろいので多分問題ないだろう。
英語の勉強をしながら、ぼちぼち読んでいきたいと思っている。

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人と感性が違うと言われた

わたしは、周囲から「変人」だと言われながら今まで育ってきた。
「変人」だと言われる度に、「いやそれはお前がアイデンティティーを確立できてないからそう思うだけやろ」とわたしは思っていた。
しかし、今日の晩のことである。
タバコを吸いながら父親と話をしていた時に、「お前は普通の人間とは感性が違うからな」と言われたのである。

わたしの感性は普通の人間とズレているのだろうか。
しかし、感性なんて人それぞれだ。
十人十色。人の数だけ感性が存在する。
でも、父はきっと「世間一般的な」感性とはズレている、といった意味でわたしに「お前は感性が普通とは違う」と言ったのだろう。

思えば、ずっと昔から変わった人間だと言われてきた。
誰かと話すことよりも本を読む方が好きだったし、言葉選びが独特で笑いを誘ったり、高校の時に大学に提出する調査書に「ユーモアのセンスがある」と書かれていたり、それはもう変人扱いされて育ったのだ。
そう考えると、わたしは「変人」なのかもしれない。
自分ではどこが変なのかまったくわからないが。
唯一わかることは、言葉選びが独特なところだけだ。

浮世離れしている、飄々としている、変人。
今まで何度も言われてきた言葉。
自分では何がおかしいのかまったくわからないが、褒め言葉として受け取っていこう。
変わり者で何が悪い。エキセントリックで何が悪い。
わたしはわたしの行きたい道を行くだけだ。
わたしはわたしの言いたいことを言うだけだ。
それによってどれだけ変人扱いされてもわたしはもう気にしないことにした。
奇人変人、上等じゃないか。

無個性であるよりは、変人でいる方がよほどいい。
たしかにわたしの存在は大衆に受け入れられるような無難な存在ではないが、それでもいい。
無個性よりは個性が強い方がいいじゃないか。
しかし、わたしの感性のどこが変なのだろう。
明日父親に聞いてみようと思う。

今日は英語の勉強を3時間やった。
飽き性のわたしにしては続いているし、ネットで知り合ったイギリス在住の男の子に宿題を作ってもらったり、わからないことを聞いたりして勉強に励んでいる。
久々に勉強するとなかなか楽しいものだ。
特に採点するときのあのドキドキ感が堪らない。
明日も10時には起きて、英語の勉強を始めよう。アラームのセットは万全だ。
いつかは英語を話せるようになりたい。そのためには、多くの単語を覚えなければならない。
明日も頑張って勉強しよう。
英語の問題集を解き終えたら、読書をしよう。
時間は有限だ。上手く使っていきたいと思っている。

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