嘔吐

作家になりたい統合失調症の女が色々考えるブログ

父親の優しさが逆に苦しい

タイトル通りである。
優しさというのは時に人を苦しめることもあるのだと思ったのである。

わたしの父親は、いつでもわたしに寄り添ってくれている。
体が動かないわたしの代わりに家事をやり、食欲のないわたしのために栄養を取らせようと料理を作ってくれる。
わたしが統合失調症になったと知った時は、統合失調症に関する本をたくさん読んで、わたしへの対応の仕方を学んでくれた。
おかげさまで、父親のそばだとストレスフリーで過ごすことができている。

ただ、そこまでわたしのことを思って動いてくれている父親に、わたしは何をしてあげられているだろう。
ただ迷惑をかけるばかりで、このまま四月まで寛解するかもわからず、5割ほどニートになることが確定しているわたしが、父親にしてあげられることは何だろう。
恩返しがしたいのである。どんな形でもいい、恩返しがしたいのである。
しかし、わたしがそう言うと、「生きていてくれるだけでいいよ」と返ってくるのである。
生きているだけで恩返しになるのか?
たしかに、わたしは過去に自殺未遂を三回している(よく措置入院にならなかったものだ)。
それを思うと、父親の「生きていてくれるだけでいいよ」はまあ理解できないこともないのである。

しかし、こうして周りに迷惑をかけながら生きるのもなかなかつらいものがある。
父親だって自分の時間が欲しいだろうに、わたしが寂しくなって父親の部屋に行けばお話ししてくれる。
ああ、わたし今父親の邪魔をしてるな。
今だけじゃない。父親のたまの休日だって、わたしは父親の貴重な時間を奪う大馬鹿者だ。
だから、見捨てられやしないかと本当に怖い。
父親に見捨てられたらきっとわたしは生きていけない。

四月までに寛解しなかったら嫌が応にも仕事を辞めなければならなくなる。
「それでもいいよ」と父親は言う。
「正社員で働くことだけが人生じゃないから」「お前は簡単なアルバイトでもしながら文章修行に励めばいい」そう言ってくれる。
あまりにも優しすぎて、わたしは一体父親にどれほどの迷惑をかけながらもこんなに優しく接してもらってるんだろうと考えると申し訳ないという気持ちがわいてくるのである。

優しさの裏には痛みがあるのだと知った。
優しさというのは時に残酷だと知った。
父親が構ってくれるのもわたしのために動いてくれることも本当に嬉しい。
恩返しがしたい。迷惑ばかりかける人間になりたくない。

そのためにも、わたしは早く夢を叶えようと決意した。
たくさんの本を読んで、血の滲むような努力をして、いずれわたしが作家になったら、父親にはうんと美味しいものを食べさせてやるのだ。
今のわたしには父親に対して何もしてあげることができない。
だけど、努力はできる。夢を叶えるための努力ならできる。
わたしの努力が父親への恩返しになるんだと信じて、文章修行に励もうと思う。

いずれは楽をさせてあげるからね。
わたし、死なないからね(多分)。
父親を悲しませるようなことはしないからね。
たまの瀉血には目を瞑っていてほしいところだが、瀉血も程々にしておくからね。
頑張ろう。楽しみながら、頑張ろう。
父親に、いつもありがとうって、今日は伝えようと思っている。

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