友達に生死を心配される
たとえば、本を読み耽っていてツイッターどころではない時が二、三日続くと、生死を疑われるようだ。
わたしは統合失調症である。
Wiki先生曰く、統合失調症の自殺率は20%らしい。
そして、喫煙者はその自殺リスクは2倍になるようだ。
いつ死んでもおかしくない。
周りの目から見て、今のわたしはそういう存在なんだと驚き、同時に納得もした。
あと何年耐えられるだろう。
あと何日生きられるだろう。
そういうレベルで、わたしの希死念慮は激しい。
更に言うなら、妄想も激しい。
「アレッ? わたし生きてていいのかな?」と思わない日はない。
目の前に立っているサラリーマンがわたしを殺すかもしれないという妄想も止まらない。
「生きてていいのかな?」が改善されない限り、寛解には程遠いんだろうなあと思う。
健常者に問いたい。
あなたたちは、何を目的に生きているのだろうか?
わたしには今夢がある。
その夢だけを追って生きている。
だが、健常者はどうなんだ?
やりたいことも見つからずにただ過ぎ行く日々をなんとなく過ごしてるだけなのか?
そんな生き方は、あまりにも味気ない。
わたしは、まだ死ぬ気はないが、漠然と自分の死因は自殺になるだろうと思っている。
どこか高いところから飛び降りて死ぬんだと思う。
自分の死を予感しながら生きる毎日は、なにか〆切に追われているようで忙しない。
人生のタイムリミット。あと7年。
あと7年して、生きられれば生きるし、夢が散ったら潔くこの身も散らせようと思っている。
立つ鳥跡を濁さず。
わたしはいつか死ぬ。きっと死ぬ。
世の中に絶望しきって死ぬ。
そんな世の中で、今はただ夢に向かって努力することしかできない。
今できる最善のことを今は全力でやりたいと思う。
お荷物扱いされるのが怖い
新卒で入社した会社を、半年ほど働いてから休職に入って早10ヶ月。
今更会社に戻ることが怖いのである。
今年入ってきた新卒の子たちよりも仕事ができない。
わたしはお荷物でしかないのではないかと怯えている。
誰もがわたしを快く受け入れてくれないのではないかと思うと、復職するのが怖い。
仕事内容などとうに忘れてしまった。
また一からのスタートだ。
2年目にもなって、、、と陰口を叩かれるのは目に見えている。
わたしだって、休職したくてしたわけではない。
自身が統合失調症であると知りながらも、それをひた隠しにして会社に通い続ける気でいた。
しかし、コントミンの副作用が強すぎて職場へいけなくなり(恐ろしいことに、コントミンを飲んでいた時の記憶が全くないのである)、結果休職することになったのである。
もしあの時倒れてなかったら、今も普通に会社に通えてたのかと思うと、コントミンが憎い。
わたしは普通の人間でありたかった。
しかしわたしは障害者になってしまった。
手帳を取ろうとは思っていないので、見た目には普通の人間なのだが、わたしは障害者なのだ。
会社に復帰して、あたたかく迎え入れてもらえるだろうか。
今更復帰してくるくらいならやめろとでも言われるのではないか。
不安は尽きない。
こうしてぐるぐる考えることが寛解を遠ざけてることは自覚しているが、それでも考えてしまう。
正直なところ、会社に戻ったらまた昼ごはんも食べれない状態に戻るのだと思う。
人と接するのが怖くて、無愛想極まりない人間に成り果てるんだと思う。
他人は怖いのだ。
誰も信用できないのだ。
はたして、復職したとして、わたしはまともに生きていけるだろうか。
わたしは「死にたい」と思わず生きていけるだろうか。
きっと無理なんだろうなあと思う。
毎日デパスをODして出勤する自分の姿は想像に易い。
この生ぬるい環境に置かれてもなお改善しない不安感。
ただひたすらに苦痛だ。
そろそろ治ってほしいと思う。
しかして、寛解への道はまだ遠いのである。
「きみとぼくの壊れた世界」西尾維新
読破した。簡単に感想を書いておこうと思う。
「クビキリサイクル」と「クビシメロマンチスト」のおかげで西尾維新にどっぷり浸かって憧れて、この書き方パクりてえ〜!と思っているわたしだったが、今回の作品はあまりおもしろいとは思えなかった。
もちろん、言葉遊びは素晴らしい。
しかしながら、展開が急すぎて、「本格ミステリ」とは言いがたいのではないかと感じた。
それでも、並の本よりはおもしろく読めたので、わたしの脳みそはやはりラノベ思考らしい。
次に読む本も西尾維新だ。
というか、しばらくは西尾維新しか読まないだろう。他に読むとしたら宮部みゆきだ。
今のわたしには西尾維新や宮部みゆきのような文章は書けない。しかし、諦めたくもない。
西尾維新。大いに気に入った。
第二の西尾維新になってやろうじゃないか。
そのためにも、西尾維新の本をめちゃめちゃ読むことにした。
次に読むのはシリーズものである。もちろん、化物語シリーズも読むつもりである。
西尾維新の言葉遊びには本当に感服させられる。
何を食べて生きたらこんな文章が書けるのかさっぱりわからない。
けど、ここで憧れの作家が出来た。いいことだ。
これからも読書に励んでいきたい。
「あやし」宮部みゆき
宮部みゆきの「あやし」を読破した。
簡単に感想をしたためようと思う。
この本は、宮部みゆきの短編集だ。
江戸モノの物語が九編描かれている。
宮部みゆきの文章は簡潔にして確かだ。無駄が一切ない。
ただ、わたしとしては、もう少し比喩の入った文が読みたいのである。
しかしながら、今回の「あやし」は量的にも少なく、すらすら読むことができた。
短編を書くのは難しいことだ。わたしの父親はそう言っていた。
短いページ数でいかに物語を描くのか?
そういう意味では、大いに参考になった。
短編を書くのは難しい。長編ならあとから誤魔化しがきくが、短編となるとそうは行かない。
だから、宮部みゆきがおよそ20ページほどの文章できちんと結末までしっかり描いているのは、純粋にスゴイと思えた。
わたしは、宮部みゆきのような文が書きたいわけではない。
どちらかと言えば、西尾維新のような言葉遊びの巧みな作家に憧れる。
わたしに欠けているのは、読書量と語彙力、構成力だ。
今立てているプロットも、どのような構成をしようか悩んでいる。
まあ、わたし自身の話はここまでとして、今回の作品も楽しんで読めた。
苦手だった江戸モノ本も、読む内にだんだん慣れてきた。
やはり読書というものは数をこなしてなんぼだと思う。
読み続けている内に、どんなジャンルの本も読めるようになっていく。
だから、これからもいろんな本を読んでいきたい。
全ては夢のため。夢のためなのだ。
明日からはまた新しい本を読んで――といってもまた宮部みゆきなのだが――語彙力と構成力を培っていきたいと思っている。
ところで、わたしは折原一の「異人たちの館」が読みたくて読みたくて仕方がないのだが、どこの本屋に行っても見つからない。
16日になったら、アマゾンで買おう。
宮部みゆきを読みすぎて、少々飽きがきているのも事実だ。
あと2冊。あと2冊読めば宮部みゆきの本を読むのが終わる。
いろんな作家の本が読みたい。とりわけ、ミステリーが読みたい。
そこらへんは、綾辻行人や西尾維新を参考にしていこうと思っている。
なんにせよ、3日に1冊のペースを超えるペースで本が読めていて嬉しい。
これからも読書に励んでいきたいと思う。